適応障害からの365日の顛末

適応障害で休職中。回復へのトライ&エラーと、心地のよい暮らしを手に入れる過程の自分日誌。

浮上の予感と決心(映画と予言、虹について)

”気まぐれとずっと 遊んでいたら こんなにときが 過ぎていた”

という歌があったような。

 

お久しぶりです。誰にともなく。

 

7月上旬から気まぐれとずっと遊んでいました。

もとい、ひどく調子を崩して落ち込んで以来、blogの更新をすることもなく、本を読んだり、映画を見たり、植物に水をやったり、週に1度通院したり、寝たり、寝たり、寝たり、あと寝たりして過ごしていました。

 

過去の経過やその時々に起きたこと、感じたこと・考えたことは記録してあるので、後で時間を見つけて振り返りも兼ねて記事にしようと思っています。

そんな訳で、しばらくは過去のことと現在のことをパラレルで更新する、ややこしい形になりそうですが、ご容赦ください。

 

 

こうして再度blogを更新する気になったのは、「ひどく調子を崩して落ち込んで」いたのが、過去になったからだと自分では思っています。

特に根拠はないのですが、先週中に復帰に向けて動き出さなければと腹が決まったような実感があります。

嫌なことがいっぱい待ち受けているとしても、心理的に抵抗があるとしても、休職する前・症状が悪化する以前の暮らしに戻ろうという気持ちが不意に訪れました。

 

 

ここ2、3週間ほどは家で過ごしている時間が多かったので、これから段階的に日中の外出時間を増やして、出先でインプットとアウトプットに頭を使うことを思い出すリハビリ、集中力を維持する訓練に充てようと思っています。

朝6時には起きて、週に3、4回は近所の喫茶店や図書館に外出し、そこから半日の時間は読書や調べ物、文章書きなどに充てる予定です。

 

 

まずは、なぜか不意に回復を実感するに至った出来事のことを。

 

↓ 2011年頃、テニアン島でダイビングライセンスをとった後に潜った、サイパンのBlue Holeにて。

 

 

 

7月23日(月)

8時半ごろ起床する。前日23時には床に着いたのに、2時頃まで眠れなかった。

ここのところ日中は本を読んだり、じっと動かずに過ごしていて、運動量が足りないのかもしれない、などと思う。

朝食にスムージーを飲み、ソファーに腰掛けて小説のページを繰ってるうちにいつの間にか眠りに落ちていて、気づけば10時半。ここ数日そういう日が続いている。日中に眠ってはいけない、午前中に眠るから夜眠れなくなるのだとわかっているのに、起きていられない。少し前までのようにひどく落ち込むことはなくなったけれど、やっぱりどうしても午前中は気力が湧かないのだ。

 

会社とのメール連絡の逡巡で得た教訓:Get Things Done. 質が求められないタスクは終わらせることだけに集中する

午前中、会社の上司から携帯にメールが届いた。内容は休職期間に関する連絡だった。

メールの中には、「現状の診断書だと7/24(金)に休職期間が終了する予定」との記載があったことをきっかけに、少し混乱する。

24日は明日だが、明日は火曜日だ。27日金曜日のことなのだろうか、これは確認したほうがよいのだろうか。次の診察を終えての回答で構わないと記載されていたので、いずれにせよ「26日の診察後に連絡する」と返信すればよいか、と思い直した矢先、すぐに別のポイントで躓く。

現状の回復具合からすると、どう考えても休職期間延長になるのだから、「26日の診察後に連絡する」とだけ返信するのは不親切だろうか、主治医の見解を踏まえて正式には26日に連絡するが、回復の状況は思わしくないので休職期間を延長する前提で調整してほしい旨を申し添えるべきかだろうか。そういった情報も含めて返信するとして、どんな表現をとればよいのだろうか。。

 

取るに足らないことに思いを巡らせ、寝逃げをし、それからまた返信につまり、寝逃げし、返信に窮すること4時間。

午後になって「もう考えるだけ時間の無駄だ。診察を待って回答すればいいと言われているのだから、26日の診察で主治医の判断を仰いで連絡することだけ伝えよう。とりあえず、このタスク(=返信)に関しては終了させることに意味がある。Get things doneだ!質が求められてるわけでもないし、返信内容に不足があれば向こうから質問が来るはずだ」と思って、返信。

送信ボタンがミサイル発射ボタンのように思えた。

 

返信してほっとすると同時に、こんな瑣末なことで逡巡する自分に嫌気が指す。以前、日常の業務の中で、いくつもの細かい枝分かれの中から適切(と少なくとも自分では思えるもの)を特に意識せずに選択していた自分はどこに行ってしまったんだろう。もう、あの時のように頭を働かすことはできないのかな、などと思う。 

物事の優先順位がつけられなくなり、不要な情報を削ぎ落として、話の軸をつかむ能力が著しく低下する。適応障害や鬱とは、そういう病気なのだと改めて思った。

普段は意識化で「重要でない情報を取り除く」事前処理をしているのだが、それができないので情報過多になり、余計に優先順位がつけられなくなる。優先順位がつけられないから、判断などの行動を避けるようになり、自分の能力への自信を無くすという悪循環。

ある一線を越えた後で、このネガティブなスパイラルから脱出するには、一時的に脳を刺激する情報から遮断するしかないのだろう。情報から隔絶されてもしばらく脳は興奮状態で、その興奮が収まるとようやく脳自らが情報を遮断しようとしてひたすらに眠くなる。なので、ひたすら眠る日々がやってくる。脳が十分休まって、受け入れられる情報量が増えてくると、少しずつ眠気がとれていって意欲や気力が湧いてくるのかもしれない。

そう考えてみると、午前中に眠ってしまうわたしは、まだ十分に回復していないのだろう。それでも、午前も午後もお構いなしに細切れに眠りに落ちていた1週間前よりは随分と回復して来ているような実感があった。

 

上記はわたしの想像であって、実際にそうなのかどうかはよくわからないが、この考え方には自分でも納得が行き、人間の体のメカニズムの出来の良さに、他人事のように呑気に感嘆した。

 

教訓:脳みその中がざわつく時は寝逃げ。もしくは、頭や心じゃなくてフィジカルな感覚に集中するために体を動かす

上司に返信した後、村上春樹のインタビュー集を読み始めたが、職場の人の顔が脳裏に浮かんで来てしまい、職場の上司や同僚の顔が脳裏にちらつく。小説を読んで気を紛らわそうとしているんだけれど、もやもやとした気持ちが膨らんでしまって、文章を読むというよりは、文字を目で追っているだけのような状態。内容がまるで頭に入ってこない。

寝逃げしようかとも思ったが、夜に寝付けなくなる気がしたので、気分転換にちょっとストレッチをする。ストレッチを終えると、いくぶん心が軽くなっていた。そのまま体を動かそうと思って、掃除をしているうちに、いつの間にか心は落ち着いた。

 

こうやって、心がざわついたときの乗り越え方を覚え、不安になっても乗り越えられると自分に覚えさせることで、小さなことで不安になる頻度が減っていくのだろう。

このプロセス自体もリハビリの一つなんだろうな、などと思った。

 

7月24日(火)

7時半に起床。最近就寝時間と起床時間が後ろ倒しになってきているように感じて、起き抜けから反省。少しずつ、朝方に戻していかなければと思う。理想は22時就寝、5時台起床だけど、なかなか思うようにはいかないもんである。

 

朝食にスムージを飲んだ後、読みかけのまま放置していた小説を読んでいたら、そのままうっかり眠ってしまって気づけば10時半。

ここ最近、本のページを繰っていると眠くなる。最初はソファーに座っているせいなのだと思っていた。なので、床に座って読んでいたのに、気づけば寝転んで読んでいて、眠っていた。まだ、文章によるインプットは脳みそが拒否している感じがする。ネットならばいくらでも文章を読んでいられるのだけど、紙でもKindleでもある程度まとまった文章を読んでいると眠くなるのが、とても不思議である。

 

映画鑑賞を始める(映画3本)

以前、主治医に「本を読もうとしても文章が読めない」と伝えた時に、「映画でも見てみたら」と言われたことを思い出して、映画鑑賞をしてみることにする。「ドリームガールズ」と「フラッシュダンス」と「Catch me if you can」の3本、すべて初見。

ソファーの上で鑑賞したが、眠らずに3本見られた。

 

各映画を選んだ理由は以下の通り。

      • ドリームガールズはThe Supremesがモデルだとは知っていたので、音楽関連の映画であれば眠くならずに興味が持てるかと思って。

      • フラッシュダンスは、「What a feeling」が使われているから。この曲のイメージはわたしの中ではフラッシュダンスよりもスチュワーデス物語(夕方に再放送されているのを幼少期に見た記憶がある)で、イントロを聞くと夕焼け空をバックに滑走路上のジェット機の映像が思い浮かぶのだが。ダサいけど、やっぱり名曲なので、どんな映画なのか見てみたかったので。

      • Catch me if you canは完全にジャケ選択。オレンジと青の色が印象的(Amazonに似てる気もする。笑)で、主役二人がぼんやりとしか写っていないジャケに惹かれた。洋画というと、印象的なシーンの背景画像に主役の顔アップがドーンと鎮座しているようなものを思い浮かべがちだけれど、ジャケがいい感じなので映像美が楽しめるかな、と考えて。

         

もちろん、Amazon Prime Video会員ならば無料で見られるもの選ぶ条件の一つ。

 

Catch me if you canが特に面白かった。イントロのアニメーションと、穏やかだけれどどこか不安を煽る不協和音を混ぜた旋律に引き込まれる。その後は音楽は印象に残らなかったけれど、ジャケ写で選んで正解の映像美はもちろん、ストーリーもなかなか面白くて、あっという間の2時間20分だった。

 

教訓:認知は前向きに。回復日記は”褒め”に重点を。そして、”ホメ療法”開始

上記の映画3本を見たことをTwitterでつぶやいてみたところ、フォロワーの方から「3本見られる集中力すごい」という旨の返信をいただき、ふと気づく。

 

わたしの中で映画鑑賞は、あくまで読書を諦めた「逃げ」としての選択肢だったわけだけれど、それでも6時間ほど映画を飽きることなく見られるのは、確かにそこそこには集中力が回復してきてる証拠かもしれない。

今の現状を、「読書ができるほどには集中力が回復していない」と評価した自分と、「映画三本見られるほどには、集中力が回復している」と評価してくれた第三者。どちらも事実だけれど、どちらがポジティブな気持ちになるかといったら、当然後者だろう。自身を褒めること、褒められることが前向きな認知に繋がるんと実感した。

自分に厳しいのは美徳と評されるけれど、行き過ぎると物事を前向きにとらえず、ネガティブな面にフォーカスしがちになる。それで自分を追い込んでしまったら元も子もない。自分に対して厳しいのならばまだしも、状況そのものや他人を悪い面だけに目がとらわれてしまうとなると大問題だ。欠点を探してしまう癖は”うつ”や”適応障害”の根本気質なんだよな、と改めて考えたりした。

 

その日の良かった点を最低2つ、改善すべき点を1つ記録する回復日記については以前紹介したけれど、”良かったこと”については自分の具体的行動に紐付けて記録するように意識しようなどと考えた。

 

ちなみにTwitterでは「その日の自分の行動を褒めてツイート」するタグとして #ホメ療法 で活発に投稿がされており、ホメ療法実践者同士がそれを「いいね」し合うという流れが起きている。

この日からわたしもホメ療法に参加することにしてみた。

起床後に、午前中2時間以上昼寝してしまう日々が続いていたが、この日は午前中の50分強うとうとしただけで、10時半に午睡から覚めて以降はずっと起きていることができた。そのことを早速ホメてみたりした。

 

 

7月25日(水)

8時起床。グリーンスムージーを飲んだ後、映画鑑賞。

 

映画鑑賞3本

「インサイド・マン」と「フォレストガンプ」「それでも夜は空ける」の3本。

  • 「インサイド・マン」は、ジャケが気に入ったから選んだ。このジャケ、写真画像の並べ方や、文字の入り方がレコードのジャケットのデザインを彷彿させるところがある気がする。

  • 「フォレストガンプ」は、当時の話題作だったのに見ていなかったから。中学校の同級生が父親と見に行ったら面白かったと、絶賛していた記憶がある。

  • 「それでも夜は空ける」は、作品紹介を見てみて、音楽家が主人公だったのと、あらすじ全体にブルースが香る感じがしたから。

 

3本とも初見、どれもなかなか面白かったし、フォレストガンプは涙した。

 

白黒つかないというリアリティ。人間は皆グレーゾーンを生きている

※※映画の感想。ネタバレはないですが、知りたくない人はこちらへ ※※

 

 

その中でもダントツに面白かったのは「インサイド・マン」。

誰もクリティカルには傷つかないし、誰かの悲しみや苦しみにフォーカスされた話でもないのに話に引き込まれて、オチに向けて張り巡らせた伏線が最後に一点で綺麗に回収されるのがたまらない。たぶん、数日中にもう一度見直してみると、初回には気づけなかった伏線に気づいたりしそうな気がする。こういう見れば見るほど味が出る、スルメのような映画はだいすきだ。

何よりも、主要登場人物それぞれが正義と悪に塗り分けられない点がリアリティがあって、とても魅力的に感じた。悪いだけの人間なんていないし、人に顔をしかめられるような行いを一度もしたことのないような人間もいない。 みんな、濃淡の差はあれどもグレーで、どこに光を当ててどの面に焦点を当てるかで、全く違った色に見えるだけなのだ。

 前職で、同僚の行いに対して腹が立ってしょうがないときに、「でも、この人にも家族がいるんだよな。この人を愛し、この人がよく生きるようにと思って育てた母親がいて、この人もいつの日にか愛する誰かに同じように暖かい眼差しを向けたりするんだよな」と思って、怒りを沈めて冷静になろうと思ったことを、ふと思い出したりした。

 

「火事場の馬鹿力」を借りて料理をこなす。浮上の予感と、甘えについて

夕飯の材料を買いに出るついでに、会社から戻った夫を最寄り駅まで迎えに行ったら、夫の様子がおかしかった。先週から激務続きで、 ここ数日は帰宅後も深夜まで仕事をしていたりしたからかもしれない。数分前にLINEでやり取りした内容すら夫は忘れていて、口調も足取りも重々しく、立ち姿からは疲労がにじみ出ていた。

以前のエントリーにも書いたが、夫は5年ほど前に適応障害と思われる症状に陥ったことがあった。そのときの夫の様子や、休職前のわたしに、いまの夫はとても近いように感じられた。

 

そんな夫を見ていたら、何か栄養のあるものを早く食べさせなければと思って、夕飯はしっかりと料理をした。

適応障害になってからというもの、わたしは料理がとても億劫になった。最近は簡単なものならば作れるようになったけれど、料理をする前には心の中で「えいや!」と気合いを入れないと着手できない。以前のように、複数の献立を並行して効率よく短時間で作ることは、まだまだできていない実感があった。ちょっと気を抜いて上の空で調理を進めると、醤油とみりんを間違えそうになったり、調理酒の蓋をめんつゆの瓶に嵌めようとすることも度々ある。

でも、この日はいつになくテキパキと、短時間で料理をすることができた。不思議である。夫の危機を見て発動した、わたしの「火事場の馬鹿力」なのだろうか。

 

床に就いた後にぼんやりと1日を振り返って考える。今日は数週間ぶりに日中に一睡もせずにいられたな、とか。ホメ療法である。

もし、さっきの調理が火事場の馬鹿力なのだとすれば、夫が明日倒れてしまったりしたら、わたしのこの症状は一気に回復するかもな、などと考えを巡らせては、なんて皮肉で、不謹慎なことを考えているんだろうと反省する。

でも、待てよ、もし火事場とはいえ調理ができるのだとすれば、調子の悪い日に惣菜を買って済ませてしまおうとしたりするのも、そもそも休職していることも、わたしの単なる「甘え」ってことなのか?いやいや、この休職は必要だったはず、それにしても今も継続して休んでいることは、甘えなのかも…

そんなことを考えているうちに、眠りに落ちた。

 

 

7月26日(木)

8時半起床。ここ最近、起床時間がますます遅くなっている。就寝時間も後ろ倒しだ。22時〜23時にはベッドに横になり消灯するのに、日付が変わっても寝付けない日も増えてきた。日中も起きていられるようになったので、そろそろルーチンに重きを置いて、活動量を増やすべきなのだろうか。

 

夫は朝起き上がることができずに、午前休をとった。

ここ最近の夫はよく午前休をとる。特に週明け。上述の通り、過去に適応障害的なものを患う前の夫も、週明けによく休みをとっていたので、危険な兆候だと思う。

とはいえ、夫はもともと自分でもある程度、疲労を実感したときには自ら積極的に休息をとるタイプの人でもある。その一方で、わたしは適応障害と診断されたあとで、主治医に休職を打診されている状態でも這ってでも会社に行こうという気力だけはあって、会社にアラートやヘルプを出し続けて、なんとか話をつけた上で長期間の休職に入る。

自分では、そうなのだと思っていた。けれど、わたしは単純に「休む」という判断に自分でGOが出せないタイプで、そういうところもあまりよくないのだろうな、などと考えながら、朝食にグリーンスムージーを飲んだ。

 

眠り続けている夫に軽く声をかけ、診察へ向かう。向かう途中、休職日程についての上司からの連絡に返信しなければならないことを思い、足取りが重くなった。

 

診察

医師とのやり取りは以下のような感じ。

  • 調子どう?回復してきているかんじ?
    • そうですね、先週よりはずいぶんと。先週は午前も午後も細切れに眠ってしまう状態でしたが、そこから午前だけ少し眠ってしまう状態になって、昨日は朝起きてから日中はずっと起きていられました。
  • そうなんだ。受け答えも表情も、先週までと比べるとしっかりしているね。それで、日中はどんな過ごし方をしているの?
    • 最近は映画鑑賞をしていることが多いです。読書しても集中できないので、映画を見るようにしました。
  • 何本くらい?
    • だいたい3本くらいでしょうか。
  • 3本て言うと、時間は?
    • 映画にもよりますが、おおよそ6時間くらいかと思います。
  • 集中して見ていられる?
    • そうですね。映画だと眠くなることもなく、集中して楽しむことができています。
  • 他の過ごし方は?
    • …(他の過ごし方って何のことを聞いているんだろう?
  • 外出したりしてる?
    • 1日に最低1回、多いときは2回、近所に買い物に出たり、15分ほど散歩したりする程度です
  • うーん、もう少し外に出た方がいいね。家事はどう?できてる?
    • 洗濯は難なくできます。掃除もしてますが、掃除と料理は始める前に気合を入れてこなしている、という感じです。料理は夕飯は夫もいるので、なるべく1汁3菜は作るようにしていますが、気分が不安定な日は惣菜やお弁当で済ました日もありました。朝食と昼食は、夫は自宅で摂らないので、家にあるもので適当に済ませる感じです。
  • なるほどね。気分の落ち込みは、どう?
    • 朝にだるい気持ちになったり、夕方に無性に焦った気持ちになることは時々あります。でも、深呼吸したりストレッチしたり、少し家事をしたりするとすぐ落ち着くようになってきました。
  • 突然泣いてしまったりとかはある?
    • そういうひどい不安定な感じはなくなりました。感情的には、ずいぶん安定してきているように思います。
  • なるほどね。
    • 先日、会社の上司から連絡があって、提出した診断書で提示されている休職期間の終わりが近づいているので、今後どうするのか返信が欲しいと言われています。
  • うーん、今の状態だと1ヶ月から2ヶ月は休みを延長した方がいいね。8月末にすることもできるけれど、どう思う?
    • 自分でもよくわかりませんが…8月末だと少し回復を急がないといけないような気はします。
  • そうねぇ。あなたの場合は、仕事への復帰を急ぐと以前のように突然不安定になる可能性があるから、バッファをみて9月末にしておこうか。もし順調に回復が進めば、繰り上げで復帰の調整を進めて、9月半ばから復帰の訓練をすることもできるわけだから。その方がいいでしょう。
    • わかりました。その内容でお願いします。それで最近、夜の寝つきが悪くなってしまっています。23時までには就寝しているのですが、12時を過ぎて、1時2時まで眠りにつけない日も増えています。その分、起床も後ろ倒しにずれてきています。これは日中の運動量が足りないためだと考えていいでしょうか。
  • そうだね。あなたの場合は、眠る薬は結構しっかりと処方していて、日中の外出が少ないので活動量を増やせば眠れるようになると思うけれど。ここから1週間は、半日くらい外に出るようにしてみて。図書館、喫茶店で読書をするとかして過ごして。映画だと受動的だけれど、少し積極的に脳を使う作業をした方がいい。毎日外出しようと思わなくていいから、週に3日とか、4日とか少しずつ、まずは朝出かけて昼までとかね。
    • わかりました。そうします。
  • それがクリアできたら、次は朝から夕方までって段階的に増やしていけば良いから。それでも眠れないときには、睡眠剤の追加を考えましょう。いい?急にやると反動が来るから、前みたいに毎日5Km走ろうとかしないで、少しずつね?
    • わかりました。ありがとうございました。

処方薬の変更は、なし。

 

教訓通りのGTDで逡巡しない。予言

10時半頃に帰宅。

帰宅して夫に声をかけた後、即、上司に休職延長を希望する旨、メールで返信をした。再度の休職期間延長となった旨を謝り、集中力の維持と体力回復のために外出の機会を増やしている段階で、診断書上はバッファをみて9月末の復職予定としているものの、順調に回復すれば9月下旬には通勤訓練を開始できる可能性もある旨を申し添えた。

その勢いのまま、診断書を郵送するための封筒を用意し、同封する一筆箋を書き上げる。心の中で「Get things done!だ。これは、完了させることが重要なタスクだ。」と唱えながら。

 

14時の会議に出席するという夫に、昼食を用意しながら声をかける。

「わたし、もう回復してきてると思う。海底を蹴った気がしてる」と言うと、「そうだね。この間は返信できずに半日そのままにしてた連絡も、今回はすぐできたし、ね」と夫。「うん、あとは水面まで浮上して息を吸うだけなんだ、って今日ふと思ったよ」と返すと、「うん」と頷く夫。

トマトときゅうりの和風そうめんをすすりながら、夫が口を開く。

「おれさ、昨日すごくボヤっとした状態で帰ってきたじゃん。で、放心した状態で食卓のテーブルに座って、そのままぼんやりしてた。そのときにテキパキ動き回ってる○○(わたし)の姿を見てて、ああもう大丈夫だな、回復してきてるなって思ったんだよ」と。

「そうだね。もう大丈夫だよ。たぶん、自分でもう大丈夫って思えるこの状態になるのをずっと待ってた気がするんだ」とわたしが返すと、「俺が今日、適応障害で倒れたら、明日には復職できるんじゃない?」と言って、夫がニヤリと笑った。

わたしも昨晩同じことを思ったので、ヒヤリとした。「わたしも、昨晩全く同じことを思ったの」と思ったけれど、口にはしなかった。わたしが回復するという明るい予言の片側で夫が倒れるという部分が不吉な予言みたいな響きで気にいらなかったからだ。

喉元まで出かけたその言葉をぐっと飲み込んで、「そうね、大丈夫」とだけ言って笑い、夫を送り出した。

 

映画鑑賞2本

映画を二本見た。

  • 「ファーゴ」は、「フォレストガンプ」と同様、当時の話題作でコーエン兄弟の出世作という認識がありつつ見ていなかったので。こちらは大学時代に同じサークルの知人が絶賛していた記憶がある。

  • 「メメント」は、2度目。大学時代に2回見て、少し時間を置いてまた見てみたいと思った記憶がある。前日に「インサイド・マン」を見て、”繰り返して見たくなる映画”というつながりでふと思い出したので、見直すことにした。

 

!! 以下、ネタバレあります !!  ネタバレを見たくない方はこちらへ。

 

 

 

「メメント」は、学生時代に初めて見たときには、なんて救いのない、悲しい映画なのだろうと感じて号泣し、繰り返して見た記憶があるのだが、今回はそこまで感情を揺さぶられなかった。

自己防衛のために記憶を歪ませて、妄想に囚われてしまった男性の行く末を逆回転で描いた映画。最初は小さなボタンの掛け違えだったのかもしれない。認知の歪みや、現実を受容できないままの自分を否定して行った結果の悲劇と考えると、誰しもが主役のレナードになり得る、というところに背筋が凍る。

わたしの母は統合失調症なのだが、急性期に妄想い囚われてしまうタイプで、そういった妄想をともなう精神疾患などの事例を見ていると十分に現実感がある気もする。この映画自体は実話やモデルとなる事例があるわけではないようだが、脳の自己防衛機能の不思議を思わないではいられなかった。

 

「ファーゴ」は、小悪党が出来心で企んだ悪事が大悪党を絡めた結果、思わぬ展開に転んで…というよくあるあらすじなのだけれど、ドタバタコメディではなく、割と淡々と展開していくところに意表を疲れた。その淡々とした調子にもかかわらず、滑稽さと演出の妙で間を持たせるのもすごいと思った。

小心者で悪党になりきれないジェリーと、根っからのワルであるカールとゲア。この悪党たちのイかれていて突飛な行動力とは対照的に、与えられた状況の中を淡々と粛々と歩んでいく警察署長で妊婦でもあるマージとその夫で画家のノーム。マージとノームの登場シーンは、基本的に淡々としているのだが、この二人の食事シーンでの食いっぷりの良さに健全な生の何たるかが凝縮されてるように感じた。

 

あと、この夫婦の会話を見ていると夫ノームは物事を悲観的に捉え、マージは肯定的に捉えるようなやり取りが見られる。

 

例えば、以下のようなシーン。

ノーム「出展する展覧会にハウプマン(察するにノームのライバル)も出展するらしい」

マージ「あなたのほうが上手よ」

ノーム「どうかなぁ」

マージ「あなたのほうが上」

ノーム「(嬉しそうな顔で)そう思う?」

というシーン。

 

映画のラストシーンでは就寝前の二人がベッドでテレビを見ながら、次のようなやり取りをする。

ノーム「展覧会の発表があったよ」

マージ「発表されたの?」

ノーム「ああ」

マージ「それで…?」

ノーム「3セント切手だ」

マージ「貴女の書いた真鴨のデザインが!?」

ノーム「うん」

マージ「(満面の笑みで)すごいじゃない!」

ノーム「でも3セント切手だった」

マージ「十分すごいじゃない」

ノーム「ハウプマンは29セント切手だよ。みんな3セント切手なんて使わないだろ?」

マージ「頻繁に使うわよ。郵便代が値上げされたときにね」

ノーム「そうか?」

マージ「不足分を補うのに十分じゃない」

ノーム「(納得いかない様子で)ああ、そうかもしれないな」

マージ「すごいことよ。誇りに思うわ」

 

マージと夫のノームのやりとりを見ていると、認知の向きひとつで人間は健やかにも、いじけてもいられる、としみじみ思った。

 

 

このやり取りのあとマージは神妙な顔に戻って、夫ノームの片腕に抱きつきながら「わたしたちは幸せな夫婦ね」と言い、「ああ。愛してるよ」「わたしもよ」というやりとりを交わす。マージの丸く膨れたお腹を撫でながら微笑むマージが「あと2ヶ月で(赤ちゃんが)産まれるね」と言い、ようやくマージが笑顔を取り戻して「そうね、あと2ヶ月」という会話をして映画は終わる。

 

このラストシーンの会話やりとりの終わりにようやく、夫婦ともにしあわせそうな笑顔を見せるのも興味深かった。会話のやりとりの上ではマージがノームを明るい方向へ導いているように見えるけど、マージ自身も夫との会話の中で自分が置かれた状況の中にある「しあわせ」を、「しあわせだ」と言葉にして確認することで、家庭外で負ったストレスを癒しているようにも思えるラストシーンだった。

 

浮上の決心

ファーゴを見て、ぼんやりと感じた教訓は以下。

  • 小さな「しあわせ」を見過ごして通り過ぎないこと。ちゃんと拾い上げて、かみしめること
  • ネガティブな側面だけじゃなくて、その日に起きたうれしい出来事、ポジティブな側面に目を向けること
  • このふたつを継続して積み重ねることが、健全さの礎になる

 

映画を見る合間に、家中に掃除機をかけ、まな板を漂白した。

掃除機をかけている途中、寝室のエバーフレッシュが開花していることに気づく。

きれい。

 

 

夕飯は1汁3菜をテキパキと作って、夫と二人で食べた。

 

夜、ベランダに出て、昼間の夫とのやりとりをぼんやりと思い出した。

昨晩、「明日夫が倒れたら、きっとわたしはすぐに回復するだろう。ということは、いま休んでいるのは甘えなのかも」と思ったこと。そして、今日の日中に夫から「今日俺が倒れたら、明日には復職できるでしょ」と言われたこと。

夫婦は年々似てくるというが、二人とも似たような思考回路なのだろうか。基本性質は似ているようで、全く違う部分もたくさんあるわたしたち夫婦だが、夫からすればわたしの考えていることなんてお見通しなのだろうか。

夫婦って合わせ鏡のようでもあるし、わたしに足りない部分を夫が持っているという点で、better halfという表現にも納得がいく。

ファーゴを見たせいか、夫婦についてぼんやり考えた。

 

 

いずれにせよ、今日の診察では自分が聞きたいことを主治医に積極的に確認できたし、帰宅後に上司とやりとりして休職延長の調整をつけることもできた。昼食と夕食をテキパキと作って夫と一緒に食べられたし、家中の掃除もできた。見た映画は二本とも面白かったし、ちゃんとシャワーも浴びた。よい一日だったな、とベランダで振り返る。

 

なにより、自分がもう浮上すべきだと決心がついた。誰かに言われたり決めてもらったりするのではなくて、自発的にそう思えるのをずっと待ってた気がしてる。

仕事にスムーズに復帰できるのか、もちろん不安はあるし、職場への抵抗がないと言ったら嘘になる。それでも、もうそろそろ外に出る支度をしろと自分の身体が言ってる気がした。

休職して以来、心が苦しいときや、頭の中が混乱しているときに、身体に意識を向けるようにしていたからなのだろうか。わたしの「復帰に対する腹オチ感」は「体の芯が座る感じ」にすごく似ていて、フィジカルな納得感がある。

 

それにしても、復帰に向けて腹が据わった日に休職を延長しているあたりがなんとも皮肉でパラドキシカルだ。これも人生のタイミングの妙というやつだろうか。

 

教訓:しあわせに「気付く」ことが、しあわせの条件。もしくは、虹の話

ベランダから部屋に戻るときに、ふとグレープフルーツの鉢植えに目をやったら、たくさんの枝から一斉に新芽を吹いていた。20日ほど前に鉢と土を交換してやったせいかもしれないと思うと、うれしくなる。

それにしても、朝と晩、一日に2回水やりをしているというのに新芽に全く気づいていなかった自分が滑稽でたまらない。わたしの目は一体何を見ていたのだろうか。

例え小さなことでも、「しあわせ」を見過ごして通り過ぎずに、気付くことが大切なんだ、と改めて噛み締めながら部屋に戻る。

 

夜、眠る前にふと思い出した、虹のふもとにいる人に虹が見えない、という詩。

中学生の頃の国語の教科書に載っていたように記憶している。

検索してみたら見つかったので、自分の心に刻むために、載せておく。

 

虹の足   吉野 弘

雨が上がって

雲間から

乾麺みたいに真直ぐな

陽射しがたくさん地上に刺さり

行く手に榛名山が見えたころ

山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。

眼下にひろがる田圃の上に

虹がそっと足を下ろしたのを!

野面にすらりと足を置いて

虹のアーチが軽やかに

すっくと空に立ったのを!

その虹の足の底に

小さな村といくつかの家が

すっぽり抱かれて染められていたのだ。

それなのに

家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。

ーおーい、君の家が虹の中にあるぞオ

乗客たちは頬を火照らせ

野面に立った虹の足に見とれた。

多分、あれはバスの中の僕らには見えて

村の人々には見えないのだ。

そんなこともあるのだろう

他人に見えて

自分には見えない幸福の中で

格別驚きもせず

幸福に生きていることがー。