365日の顛末

こころとからだの健康、不妊治療、キャリア。試行錯誤の365日の記録。

同じ舟の上で(flexlifeのwarに寄せて)

わたしの暮らす部屋のお隣りさんはご夫婦で、
小さな赤ちゃんが1人いる。


三ヶ月前、カステラを手に下げて引越の挨拶をしに行った際
玄関先に出て来たのは旦那さんだった。
何か困ったことがあれば言ってください、と言うその人を見て、
なんだ、東京砂漠も捨てたもんじゃないな、と思った。


その後、マンションの階段で、あるいは廊下で、
まだ生まれたばかりの赤ちゃんを連れた
お隣り夫婦と何度かすれ違った。

柔らかい布に包まれて抱えられたまま、
気まぐれに手足をばたつかせる赤ちゃんに
わたしの人差し指を預けてみると、
そのちんまりした手からは想像がつかないような力で
ぎゅうと握り返された。
それをほほえましく見ているご夫婦の様子を見て、
ほう、なるほど、これが小さくも暖かい幸せってやつなのか、
などと思った。

赤ちゃんが手を握り締めているのは、
絶対に離してはいけない幸せの種を
小さな掌に握っているからなの。

小さい頃、どこかで誰かにそんな話を聞いたことを思い出した。


夜中に毛布にくるまって小説を読んでいると時々、
壁の向こうから赤ちゃんが泣き出す声が聞こえる。
その後に必ず続くばたばたとした生活音で、
わたしはあのちんまりした掌と
それを見つめる二人の眼差しを思い出す。

読み途中の小説がどんなに残酷な、うら寂しい情景を描いていても、
その声や物音を耳にする度、小さな幸せの形を思い出して、
心の奥のほうからじんわりと暖かいものが沸くような気がした。


ここ最近、赤ん坊の泣き声と
夜中のバタバタとした生活音の順序が逆転した。
最初に話し声が聞こえ次第にその語調が強まり、
赤ん坊の泣き声へと繋がるのだった。
共同生活に口論は付き物だし、まあそういうこともあろう、
幸せを守るやり方や折り合いの付け方を
二人でがんばって模索してくれ、などと
小説のページをくりながら思っていたが、
そんな物音が聞こえる夜が頻繁になるにつれて、
わたしは夜の時間が息苦しく感じられるようになり、
毛布を頭からすっぽりと被るのだった。


わたしの人差し指を包んだあの小さな掌をぎゅうと握りしめて、
体中の声を振り絞って緊急事態を知らせようとする
小さな姿が脳裏に浮かぶ。

知らない大人の世界の事情で、
自分を守ってくれる囲いは簡単に吹き飛んでしまうのだな、
そして今のわたしはまだまだ小さくて、
その壊れていく過程をただ眺めているしかないのだな、
そう痛感したいつかの自分を思い出す。
今日の自分を守ってくれるものが
明日も同じ形で存在するなんてことは
本当に奇跡のようなものであって、
だからといって泣いてる場合なんかでは決してなくて、
ひとまず自分のことは自分で守れるくらいに
タフになんなきゃだめなんだわ、と心底思った日のこと。

赤ん坊の泣き声に当時の自分の姿を見た気がした。

 

一週間ちょっと前から赤ん坊の声を含め、
夜中の刺々しい騒音はぴたりと止んで、
おぉ、一段落して落ち着いたか、めでたいことだ、
などと思った矢先の出来事だった。

今日、近所のスーパーから戻ってきた途中、
マンションの階段でお隣の旦那さんとすれ違った。
彼が手に提げた半透明のゴミ袋には、
カップラーメンだかコンビニのお弁当だかの
発泡スチロールの容器がいっぱいに詰まっていて、
ああ、わたしの楽観的な推測は空しく外れて、
そういうことになっているのね、と思う。

見てはいけないものを見てしまった気分で
きまり悪そうに、力なく笑うその人と、
こんにちは、のような挨拶を交わした。

 

1週間分の洗濯物を片付け、部屋の掃除をしてゴミを出し、
この先1週間の夕飯を作った後、ベランダにて音楽を聴く。


 割れたガラスでできた 広い海原
 牙を剥いた荒波 小さな方舟
 舟の西にパパがいて 東にママがいて
 綱引きしてる 同じ舟の上で why?

 いつも強引な身勝手なパパと
 ヒステリックな声でわめいているママと
 遠い昔抱きしめ合ったはずなのに
 今は深い憎しみ抱きしめ 生きてる 争ってる why?
 
 沈みかけた小舟 大きな黒雲
 小刻みに揺られて 少しずつ歪んで
 寄せて返す疑いと 遠のいてく未来と
 綱引きしてる 同じ舟の上で why?
 
 かなり凶暴な夢見てるママと 
 この舟の上じゃNo.1なんて言うパパと
 遠い昔 愛し合ったはずなのに
 泥試合の争いじゃ 舟は千切れて なくなるだけ why?

 愛なんてと背を向け プライドだけ守っても
 愛なんてと言わないで 遠くまで見つめて
 舟の西にパパがいて 東にママがいて
 綱引きしてる 同じ舟の上で why?


部屋のステレオから流れてくる、flex lifeが唄うwarを聞きながら、
プルタブを引いたハイネケンをぐびりと飲みながら、
ママと一緒にどこかへ行ってしまった赤ちゃんのために、
20年前のその日に泣いちゃだめだと思った自分のために、
少しだけ、泣いた。

そんな土曜の午後3時。

 


子どもはいつだって選択肢を与えてもらえない。

 

 

 

 


flexlife / WAR - at Tatomiya

 

上記の文章は2007年当時に「はてなブログ」ではないBlog的な媒体に掲載してた

過去の日記からの抜粋。

最近、改めてflexlifeを聴きかえす機会があって、

この曲に関連した日記を27歳のわたしが書いていたのを思い出し、読み返した。

 

この雑文を書きつけた日から14年近くが経つ。

幼い頃に両親が不仲だった期間を長く過ごしたわたしにとって、

20代の頃はこの曲の浸透圧が高すぎて、ヒリヒリとした痛みを覚えるほどだった。

 

聞けば悲しい場面がフラッシュバックすることも多かったのに、

聴き終わった後には少し癒されたような感覚もあって、

繰り返して何度も聞いていた。聴くと何故か清々しい気持ちになった。

 

青春の残り香をひっさげていた大学時代のわたしは

「この曲って、わたしにとってはリストカット的な代償行為なのかも」

などと思ったりしてた。

リストカットという表現はやや厨二病的かもしれないけれど、

忘れがたい痛みへのレクイエムというか、自分に聞かせる子守唄的な役割を

この曲が果たしてくれていたように思う。

 

 

同じ景色を脳裏に描いても当時のような切迫した痛みを覚えなくなったのは、

わたし自身のものを見るフィルターが更新されたからか、時間経過による漂白効果か。

もしくは、守られる存在ではなく、何かを守るべき年齢に達したからなのか。

 

いずれにせよ、わたしは新しい舟を夫と一緒に漕ぎながら、

なんとか今日も海原に浮いている。