適応障害からの365日の顛末

適応障害で休職中。回復へのトライ&エラーと、心地のよい暮らしを手に入れる過程の自分日誌。

適応障害での休職後の経過を振り返ってみる(2:4週目〜6週目)

前回アップしたエントリーの続き。

今回は4週目以降のことを書いておく。

 

前編はこちら

sophy365.hatenablog.com

 

前回同様、自分の備忘録的ものなので、あくまでもわたし固有の症状の変遷である。わたしは医学についてはど素人のただの患者で、その上まだ復職できていない身分なので一般的なことはわからない。もっと早く回復していく人もいれば、もっとゆっくりじっくり時間を要する人もいるんだと思う。

 

わたしは3週間目までが落ち込みのピークで、4週目からはゆるやかに回復してきている気がしている。なので、適応障害で休職したばかりで、何もする気力が起きない人や「もう以前のように元気を取り戻せることはないんじゃないか」などと気分が沈んでいる人がこれを読んで、数週間後にはもう少し気持ちが楽になれるかもしれない、と考えてくれるきっかけになれば、とてもうれしく思う。

 

 

 

休職3週目のおさらい

  • とにかくひとりで泣いてた。突然不安になって涙が止まらなくなる感情失禁が起こり、そんな自分に疲弊する。でも泣いてることは主治医以外に知られたくなかった。夫にすら。
  • 起きていると感情の起伏が唐突に起きるので、それを避けるために眠ってしまいたくなる
  • 死にたいとは思わないまでも、消えて無くなってしまいたい、という気持ちが起こる。夜に眠りにつく時は「明日が来なくてもいい」と思っていた

 

休職4週目

夫の前でむせび泣く

一度、夫の前で声を出して泣いた。
わたしは、ときどきすごく疲れた日なんかに、なにも言わず夫の肩口に鼻を押し当てて匂いを嗅ぐときがある。たぶん一般の人には心地よくはないだろう、夫の汗の匂い(要するにオッサンの匂い)とかを嗅ぐと、ああわたしも夫も生きてる、と実感できる。こころのざわめきが静かになる感じがする、個人的なおまじないというか、安心毛布的な習慣である。


ひどく泣いた日に、久しぶりに安心毛布の匂いを嗅いだら、涙が止まらなくなって声を出して泣いた。どうしたのか聞かれたけれど、嗚咽しながら、最近、よく泣いてしまうのだ、と伝えるのが精一杯だった。

わたしが泣き止むのを待って「ストレッチして深呼吸するといい」という夫にしたがって、体のあちこちを伸ばしているうちに気分は幾分か静まった。「少し気持ちがおさまった。ありがとう」と夫に伝えた。こういう時に余計なことは何も言わず、追求するでもなく、たじろぐでもなく、見守ってくれる夫には、本当に感謝している。

 

夫の客観的指摘でこころの”もや”が晴れる

前週は理由もなく不安でさみしさがおしよせてないていたが、4週目に入ってからは泣く原因が変わって来ていた。

わたしはどうすれば休職せずに済んだのだろう、わたしはどうして仕事を抱え込むんだろう、上手にヘルプが出せないのは何故なんだろう。休職してからずっと考えていてもやもやしていた。
それを考えては答えが出ずにうわーんと、泣く。

 

夫の前で泣いた日の数日後、実は毎日唐突に泣きだしてしまうこと、なぜわたしは休職することになってしまったのか、その原因を探ろうとしても頭が整理できずに、仮に回復して仕事に復帰したとしても同じことを繰り返すのではないか、と考え始めると不安でたまらないことなどを夫に吐露した。


そうしたら、さっくりと、あっさりと、夫に指摘されたのである。


「ストレッチした仕事をやらなきゃいけないのに、周りのヘルプもサポートも望めなくて、期待に応えられるアウトプットが出せるかどうか不安でたまらなくなって、徐々に頭が回らなくなる。チーム構成にフィージビリティがないのが原因です」
「加えて言うならば、そんな会社はいますぐ辞めるべきだとおれは思っている」とも。

 

夫の指摘でも心持ちの変化

夫の言葉でわたしは一瞬で随分とこころが軽くなった。同調者が現れたからって何の解決にもならないわけだが、魔法の言葉か!っつーくらいにこころの”もや”が晴れるのを感じた。

理由は2つある。

 

一つ目は、「辞める」という選択肢があるという、当たり前のことに気づいたから。

夫に「今すぐ辞めるべき」と言うが、わたしはそれには納得いかなかった。確かに今の職場はあまり居心地はよくないし、入社して2年も経っていないので、正直愛着もない。上司のことは突破力があり優秀な人だと認めているが、人としては信用してはいない。

だが、適応障害から回復したタイミングでは、休職以前と大きく環境を変えないほうが円滑に復帰しやすい、という医者や書籍の一般論があることと、休職していても健康組合の傷病給付金が支給されれば、特別な贅沢はせず、程よく節約していれば大きな不自由はない生活ができるからだ。

職場の人間にとっては迷惑な話であろうが、一旦元の会社に復帰しつつ、本調子でない旨を伝えて(実際、前回の復帰時には復帰後フルスピードで仕事してしまったことも再発の原因だったと思う)、業務量を調整しながら転職活動をするバッファが持てれば良いと思っている。

それでも、夫の言葉で「別に辞めたっていいんだ、辞めるって選択肢もあったんだ」と認識できたことは、目の前に大きく広がる平野を見つけたような気分だった。別にこの険しい山登りの生活をする必然性はない。平野でより居心地よく楽しく仕事ができる場所が見つかれば、そちらに移ればよいだけの話なのだ。

 

2つ目は、プロジェクトが想定通りに進行しない理由は、客観的にみても、わたしのせいだけではないと考えてよいのだ、と思えたこと。

わたしは、あまり小難しい話はせず、できれば残りの人生冗談ばかり言って過ごしたいよと思っている人間だが、意外と仕事に対しては真面目で、責任感が強いのである。

責任感が強いといえば聞こえがいいが、自責の念が強すぎる。いつだって満点をとるのは無理なのだから、70点程度で止めておけばいいところを、それで悪い結果がが出てしまった際に「あのとき全力で取り組んでおけば」という良心の呵責に苛まれるのを恐れて、何でもかんでも頑張ろうとしすぎる。そして、悪い結果が訪れれば、自分が至らないせいだった、と考えてしまう。

例えば、クライアントが期日までに決定事項をまとめてくれなかった場合、その原因はまず第一にクライアント側のプロジェクトリーダーの進行がよろしくなかった、と考えるのが普通だ。なのに、わたしは「わたしのリマインドが足りなかった」「なぜ期日までに終えられなかったのだろう、前回のわたしの説明が足らず、タスクを正しく認識してもらえてなかったのかもしれない」などと、自分の至らなさにひも付けて考えてしまう傾向が強い。

逆に言えば、わたしだけが悪いと思い込むことで、ちゃんと課題を分離して、個々の課題と向き合うことを放棄していたのかもしれない、と今更ながら反省もした。

 

とにかく、適応障害の急性期ともあれば、自分をひたすら責めてしまう。悪いのはわたし、その上にわたしは逃げた、ずっとそう思って罪悪感を感じていた。

でも、一歩引いてみれば、これはチームのリソースの問題(ま、チームリーダーわたしなんだけど苦笑)、マネジメントの問題でもあるのだ。


一方でいくらぼんやりとした状態の脳みそとはいえ、わたしが何時間も考えても出せなかった自身の状況分析を、そんなにあっさりと第三者の夫ができてしまうのも、気にくわない。なんだか自分の人生がお粗末みたいじゃないか。

「すっげー、気持ちがめっさ楽になった!ありがとう!」とお礼を伝えた上で「でも、なんでそんなサクッと判ったわけ?」と尋ねてみた。

「自分のことじゃないから客観的に見れるってのもあるかもしれないけど」と前起きした上で「おれも、同じことを経験したからね」と夫は言った。


そういえば、夫も適応障害だった

何を隠そう、結婚前に同棲していた時期、夫も激務が続く環境下で適応障害的なものを患って退職した過去がある。

ここで「適応障害的なもの」と書いたのは、夫が医者にかからなかったからだ。
わたしは心療内科に通っている家族がいたこともあって、精神科やメンタルクリニック的なものへの心理的ハードルが低い人間なのだが、一般的にはそうでもないのかもしれない。もしくは、夫には他に何か医者にかかりたくない理由があったのかもしれない。いずれにせよ、「わたしも一緒に病院行くからさ、週末に病院行ってみようよ」と折にふれて声をかけても、毎回「うーん、いいや」と気の無い返事が帰ってくるばかり。

本人にその気がないのならば、無理やり連れていくのもよくないし、一緒に暮らしていれば症状の変化はある程度察知できる。数ヶ月もすれば回復するだろう、とそのままにしていた。


半年もした頃だろうか、気力がずいぶんと回復して、夫が自発的に友人と飲みに行ったりするようになったころ、わたしが「そろそろ働いてみれば?」と転職活動開始の号令を下すと、夫は1ヶ月半ほどで第一志望の企業に内定をもらってきた。

 

そんな当時を振り返る度、夫は「おれ、適応障害だったよねー」と口にする。

 

経験者(夫)はかく語りき(退職前)

そこから、夫が数年前に退職に至るまでの過程、これまであまり語ろうとしなかったその期間のことを詳しく話して聞かせてくれた。
症状が悪化していく過程で処理能力が低下していく様子、タスクの整理ができなくなって、こころも頭も業務量に追いつかなくなるのに、責任感から体をベッドから引き剥がして出社して自分を追い込んでしまう、悪循環の過程。

わたしとよく似た状態だった。

 
唯一わたしと違っていたのは、夫には途中まで全く自覚症状がなかったことくらいだろうか。
わたしは、最初に適応障害にかかった際に自分の変調をなんとなく理解して、車内広告でみた「うつヌケ」の「脳みそが寒天で覆われているような感じ」という表現に「わたしこれじゃね?」と気づけた。

(当時は脳みそに”もや”がかかった感じと、体全体が半透明のベールで包まれ多様な感覚があって、周囲の物事がただ目の前を通り過ぎていくだけ、という感覚。つまり何事にも当事者意識が持てないような感覚になっていた。)

 

が、夫はそのような自覚症状は全くなかったらしい。

先輩から「なんか最近調子悪そうだよね?」と言われたり、業務的には少し距離のある人にランチに誘われて「最近忙しそうですけれど大丈夫ですか?」と尋ねられたりしても、「あー、忙しいっすねー、大丈夫っすよ、はっはー」などと答えていたのだそう。

いつものように終電ギリギリにオフィスを出て、いつもの地下鉄の階段を降りるコーナーを曲がりながら「あー、これ、おれ死ぬわ」と無意識に口にして、「あれ、いまおれ死ぬって言った?」「言った!」「やべぇ!このままじゃ死ぬ!」と唐突に自覚して、退職を決めたらしい。

 

経験者(夫)はかく語りき(休んでいる間)

休息した6ヶ月の期間にどのようなことをしたのかについても、夫は語って聞かせてくれた。
「こうならないための分岐点はたぶんいくつかあったはずだと思ってて。その分岐点はどんな状況で、自分はどんな感情・気分で、どう考えてどういう決断をしたけれど、本来はこうすればよかったのではないかって。そういうのを、分岐点ひとつひとつに遡って洗い出して行ったかなぁ」とのこと。
「その作業をするとね、まぁ仮定の話だからどうすれば最善だったのかまではわかんないけどさ、自分の死亡フラグが立つ条件はわかるようになってくるよね。次からそのフラグがひとつ付き始めたときに、そのまま突っ走るんじゃなくて、立ち止まってよく考えるようにする。そうすればベストではなくてもベターな選択ができるようになる」

ぼんやりしてるだけのように見えた期間に、夫は自分の軌跡を振り返り、自身の認知を修正しようとしていたのだ。オーソドックスな方法とは違うが、夫が自分で編み出した認知行動療法的なものだったのかもしれない。

 

家族が適応障害だということ

正直にいうと、夫が休職していた当時のわたしは、夫に苛立ちを覚えることもあった。もちろん、それを表面に出さないようにはしていたけれど。

当時、退職前の夫ほどではなかったにせよ、わたしもそれなりの激務で、平日は平均12時間以上は仕事に関連する何かに追われていたし、タクシー帰りも週に幾度か。重要な商談の直前や、この資料をあと30分で仕上げないといけないというようなタイミングで「きょうは洗濯機2回も回したんだよ」なんて無邪気なメッセージがかわいいスタンプとともにLINEで送られてくると、萎えた。
さらに正直にいうと、夫が退職して4ヶ月目を迎えるころには「洗濯とか掃除とかしなくていいから、今後の方向性を決めてくれよ」とも思った。

一応、言い訳させてもらうと、退職当時の夫は「大学院に戻りたい」と漏らしていた。もし大学院に戻るのであれば学費は自腹でお願いしたいが、生活費は夫の分も含めてわたしが負担してもいい。それが延々続くのは困るがたかが数年の話だ。それくらいの余裕はあるし、一度きりの人生なのだから悔いのないように、夫のやりたいことをやるといい、と伝えていた。

でも、大学院熱は2ヶ月程度で冷めた様子で、「大学院の資料とか取り寄せてみたら?」と尋ねても、「もういいや、おれやっぱ研究者向かないと思うし」などと返す。じゃあ、そのうち仕事し始めるのかなー、などと呑気に構えていたが、転職活動をしている様子もなく、昼過ぎに起床の連絡が来て、夕方に洗濯完了のLINEが来る日々。

わたしは非常にやきもきしていた。

結局、業を煮やしたわたしが「いますぐ就職できる・できないはさて置いて、将来的に就職するつもりがあるのであればブランクは短い方がよい。病院にいくか、仕事を探すか、どちらかのアクションを取らないのであれば、一旦同棲を解消しようとおもうんだけど、どう?」とわたしが切り出し、夫は就職活動の開始を選択した。


いま思うと、わたしの無知が夫に危険な選択を迫ってしまった、と思う。

軽度の適応障害に照らし合わせてみるならば、療養開始から半年というタイミングで復帰へのアクションをとること自体は妥当だと思う。

そういえば、就職活動を打診する前に、夫が個人事業主として業務を請け負ったりもしていた。適応障害の回復期になると、自信回復のために自分の社会的存在意義を確かめたいという欲求がでてくる、と本で読んだ。そこで社会と接することの恐怖と、でも他者と関わらないことには欲求が満たされないという葛藤を抱くことになる。ちょうど業務を個人で請け負った時期がその時期だったのかな、といま振り返ると思わなくもない。

でもそれは、結果オーライだっただけだ。偶然、タイミングの歯車が噛み合っただけなのだ。

わたしが夫に就職活動再開を打診するタイミングがもう少し早かったりしたら、夫の回復具合がもう少し遅かったりしたら、わたしは夫は追い詰め、苦しめることになっていた。

かつ、復帰については本来、誰かにけしかけられるのではなくて、本人の意思でもってアクションをとるべきだ。

 

一方で夫はその点、非常に寛容である。
わたしが初めて休職した時から「そんな会社やめれば」と言っていた。いまも「会社辞めることにすればいいのに。働ける会社なんていくらでもあるし」「プライドが高いから嫌なのかもしれないけれど、いまより少し年収が減ったって、必要に応じてサポートが得られるようなバッファのある環境が、きみには向いてるんだよ」などと言っている。

酒が入るとやや強い語気で「だから!辞めちゃえばいいんだよ!」などと言われたりもするが、「適応障害ってしっかり回復するまでは退職とか転職とか、後で取り返しがつかなくなる大きな判断は避けた方がいいんだよ。復帰するにしても新しい環境だとストレスが多いから、まずは元いた環境に戻るのが一番スムースだって、主治医や書籍も行ってるよ」と返すと「そうだった、ごめん言いすぎた」などと言う。 
が、逃げてしまったという罪悪感や自責の念から解放され、「逃げていいじゃん、多少稼ぎが減ったって心地の良い生き方をすればいいじゃん」と言ってくれる人が身近にいるのは、何よりも心強く感じた。

 

プライドの高さについて 1

上記のやり取りの他にも、夫には幾度かわたしのプライドの高さを指摘されたことがある。

プライドが高い自覚もある。人に弱みを見せたくない。弱い自分をさらけ出して接することのできる近しい人間ももちろんいるが、心の距離の遠い人間、例えば職場の人間には弱い自分は受け入れられないんじゃないか、と思っている。

明るく、元気で、溌剌として、仕事はバリバリこなす、趣味もほどほどに楽しんでるよ!そんな自分を理想として掲げるのはよいのだが、そんな自分じゃないと周囲に受け入れられないと思っていることは問題だ。何よりも、理想的な自分でないと自分を認めてあげられないのだとすれば、この先生きていく上でとても疲れそうだな、とぼんやりと思う。


30代前半頃までは「身の丈にあった人生云々」なんて物言いをする40代半ばの人々を見て、「そうやって自分でキャップを嵌めるから、あなたはその場所に甘んじてるんでしょ。それって怠慢とどう違うの?」などと思っていた。生意気な小娘だと思うが、本気で思っていた。常に改善、常に前進、あすなろあすなろ。


でも、改善とか前進って何なんだろう。わたしにとってのしあわせってなに?お金を稼ぐこと?大きな仕事をすること?誰かの役に立つこと?新しいことをすること?誰もやったことのないことをすること?
なんだかどれもしっくりこない気がする。

 

プライドの高さについて 2

今から6年前に、大学時代に付き合っていた彼と会って、友人としてお茶をすることがあった。どんな会話の流れでだったか思い出せないけれど、わたしが「ときどき、わたしなんて全然至らなくて、他の人をみているといいなーって思うことがある」というようなことを口にしたときに、彼が言った言葉が忘れられない。

「え?他人を羨ましいって思うの?おれにはその感覚、ないわ。」

いまもときどき、ふとそのセリフを思い出すたびに、皮肉だけどそう言い切れる彼が羨ましくなる。


わたしは自分のものさしを持ってない。いつも評価の基準が「誰か」になってしまう。誰かによく思われたい、誰かより優秀でありたい、誰かよりお金を稼ぎたい。そうすれば「誰か」に認めてもら得るんじゃないか。自己承認欲求の塊なのに、誰に承認されれば満たされるかが漠としているので、消耗していく。

ほんとは、自分が心地よくいられて、昨日の自分よりも今日の自分の方が好きならば、本当に大切な身近な人がわたしを認めてくれれば、それでいいだけなのに。

 

ときどきそうやって、こころがニュートラルなところに戻るときがあるけれど、日常のあれこれに忙殺されると忘れてしまいがちになる。

 

 

休職5週目

主治医への不信

診察が非常に短いので、主治医への不満が募ってきた。

が、上記エントリーにも書いたとおり、振り返ると症状を把握するために必要な事項は問診の中で網羅されているような気もする。
だんだんと回復してきたわたしは、単純に話し相手が欲しかったのかもしれない。

休職を2ヶ月延長する診断書を書いてもらった。
あとで診断書を見てみたら、「症状の回復乏しく、云々」と記載されていた。まぁ休職を延長する理由としては妥当だし、詳細を記載する必要もないのだろうが、このフレーズには少し心を抉られたような気分になった。

「業務関連のことは考えないように。小難しい本は読まないように、読むなら小説くらい。からだを動かすように」という指示は変わらずだった。

 

会社へ休職延長への手続き

会社の上司へ休職期間延長のメール連絡をして、別途診断書を送付した。
メールには、「こちらのことは気にせず、しっかり療養してください」と記載されていた。
一応、勤め先は大企業なので、休職時の対応などはちゃんとしているし、それを責めるようなことはされない。少なくともエビデンスの残るメールやメッセンジャーなどでは。
ありがたい話でもあるが、チームの後輩に負荷をかけてしまっている自分を、改めて情けなく思ったりもした。

 

ウォーキングをランニングにして、エクササイズを始める

前週から散歩をウォーキングにし、ストレッチをするなどからだを動かすように努めていた。
が、休職期間が2ヶ月も延長されるならば、その間にいっそ体力をつけてやろう、健全な魂は健全な肉体に宿るのだ!とランニングを始めた。

一時期継続したもののずっとサボっていた体幹トレーニングを始めて、少しずつ贅肉の気になる身体のパーツに効きそうなエクササイズも加えていった。

 

朝起きたら、朝食を食べストレッチをして、ランニングをする。近所の公園の木々の間をマイペースには知っていると、清々しい気持ちになる。

 

人に会いたくなる

人に会いたい証拠に、その週に予定されていた飲み会、その翌週の飲み会、その翌々週の飲み会を、前もって全てキャンセルしたことを後悔した。


誘われたタイミングでは、開催時までにどの程度自分が回復するかも定かではないし、直前になってキャンセルして誰かが困るような事態は避けなければいけない、と思い込んでいたのだ。例えコース料理だったとしても、前々日に人数変更の電話一本入れれば完了する話なのだが、当時のわたしは罪悪感の自責の念ばかりが頭にあるので「ドタキャンで知人に迷惑をかけるなんて飛んでのない!」と自分を追い詰めていた。自分と呑みつ語りつしたい、という友人たちの誘いを断るというのは、とても勿体ないことをしたような気が、いまはしている。

一方で、調子が悪い時には、先々の予定が入っていること、その先々の予定に関する出欠の確認のやりとりで携帯が度々振動すること、メッセンジャーのチャットグループで皆の楽しげなやりとりを目にすることすらも、苦痛に感じた。遠い、しあわせな世界に生きる人たちの夢物語かってくらい、自分にはそぐわないように思えた。どれだけ悲観的だったんだろうか。

加えて、飲み会は前職の同僚や仕事つながりの人間関係のもの。一部は気心の知れた相手なのだが、当然そうでない人も含まれているわけである。

「休職してます、てへ」「まっじでー!お前が休職とかウケるー」てな具合に受け流してくれればいいのだが、「休職してます、てへ」「…ちーん」といった展開になるのが恐ろしかったのも事実である。バリバリ元気に働いている人の勢いやテンションの高さが眩しくて、停滞中の自分をさらけ出してその差異を目の前にしたときに、へこまずにいられる自信はわたしにはなかった。
この期に及んで、プライドが高い。

 

友人からの連絡がとにかくうれしかった

前職の同僚のうち2名が、わたしが飲み会を断ったこと、facebookの更新がされていないことで何かを察知したらしく、「調子どう?大丈夫?」と連絡をくれた。

適応障害が発症して以来、大勢で次々に会話が展開されていくメッセンジャーグループは苦痛に思えるのだが、マンツーの連絡は心理的に受け入れやすく、連絡自体もうれしかった。


一人目。

彼自身もうつ病を患ったことがあり、現在は寛解しているものの会社勤めが向かず、フリーランスコンサルティングの仕事をしている。彼も通院は続けているらしく、最近カウンセリングをやり始めたとか、こんな治療法もあるらしいとか、脳に関するこんなテストを受けたりした、というような貴重な情報も教えてくれた。

奥様が参加している和菓子作りの会へのお誘いなどもくれた。和菓子作り自体には興味があったが、見ず知らずの人の輪に入ってなんらかの活動を楽しくこなすまでに回復できている自信はなく、結局断ってしまった。しかし、このように気にかけてくれる人がいることは、とても救いになった。

二人目。

「なんすか、大丈夫すか?また落ちてるんすか?w」と彼らしい軽い調子で連絡がきた。「そうなのー。また休職しちゃった。てへぺろー」「なんだ、もう二回目なんだから適応障害のプロじゃないすかw」みたいな軽いやり取りの後、彼の近況などを聞く。「ま、俺いつでも暇なんで、元気になったらまた飲みましょうや!」で締められるやり取り。
こっちがどんな調子でもぶれずに軽くてチャラい彼、でも、こちらがどんな調子でも関係はかわんないから、よきタイミングでまた会おう、と彼らしい茶目っ気のある調子で展開される心遣い心にが沁み入った。

毎日ひとりで走り、一人で家の家事などをし、ベランダの植物に水をやりながら変化がないかを確認し、レコードを聴きながら好きな小説を読む。業務に忙殺されていた頃には憧れていた優雅な日々ではある。

元来ひとりで過ごすのは得意な方だと思っていたが、こういう毎日が続くと社会と隔絶されているような気分にもなる。このまま世間から取り残されて、忘れ去られてしまうかのような感覚。不安というより、寂しさかもしれない。

 

そういうときに、こういった連絡をくれる友人の存在は、とても心強かった。

前職で共に働いていたとはいえ、今はそれぞれ別の場所で別の仕事をしている、利害関係のない友人たち。その友人からかけられる思い遣りの言葉は、それこそ「がんばらなくても、いい成績でいなくても、そのままの自分が受け入れてもらえている」という自己肯定感につながるものだな、と思った。

 

日常

睡眠

それなりに朝も起きられるようになってきた。目標の5時半にはまだまだ遠いが、だいたい7時半には起きられる。が、中途覚醒は起きるし、午前中に外に出かけないとまだ眠気や落ち込んだ気分に負けそうになってしまう。

そういった意味でも、午前中のランニングやその後のエクササイズは継続した。

 

家事

家事もだいぶ苦痛ではなくなってきていた。

洗濯して、天気の良い日に洗濯物を干すのは、心が晴れる。

掃除はもともと好きではない家事なので(このエントリー参照)今でも若干腰が重くなるが、まあこなせている。

料理はその日の調子によって、まだ気が進まない日もある。とはいえ、運動量が増えてきたせいか、食欲が湧くようになった分、以前よりはずいぶんと料理に前向きになった。

夕飯は相変わらず楽をしたいので、そういう日は作り置きかお惣菜。「仕事もせずに家にいるのだからせめて料理くらいしなければ」というような気負いは薄れてきた。

朝食はスムージー、自分だけが食べる昼食は前日の夕飯時に大量作成してジップロック2入れておいたサラダに、作り置きしたラタトゥイユや自家製鶏ハムで栄養だけはしっかり取れるようにしている。

特に、タンパク質は適応障害の回復に必要な脳内物質メラトニンの生成にも重要なので、豆腐、肉、納豆、卵など積極的に摂取している。

 

生活記録

生活記録は相変わらずつけている。

人として健全で真っ当な生活を送るために、これはやらなきゃね、というタスクリストであり、ランニングやエクササイズ、読書、英語の勉強も追加したやりたいことリストである。

タスクリストは問題ない頻度でカバーできるようになった。

やりたいことリストについてはランニングとエクササイズはほぼクリア、読書はその日の気分によってできたりできなかったり波がある。英語は主治医に止められていることもあって、未着手。

ついでにいうと、禁煙も失敗しちゃいました。10日間くらい我慢したんだけれど、また吸い始めちゃった。てへ。

 

 

休職6週目

診察。ますます主治医への不信感が募る。

先週よりさらに診察時間が短くなり、落胆した。

診察時間が短縮しているのは、事細かに症状を確認しておかないと急変する可能性のある急性期を脱して、回復している証拠と言えるのかもしれない。

でも、本当にあの数分で、前回からのわたしの変化や回復具合がわかるのだろうか。この時期、わたしがどのような心持ちで何をして過ごすべきなのか、なんらかの示唆をもらうことをはできないのだろうか、と疑念が晴れない。

5週目、6週目と連続して、診察後の半日は気分が沈んだ。

転院についても少し考えてたが、休職の折り返し地点を越えた今、ゼロから他の医者とやり取りすることがかえってストレスになる可能性もあるし、まだ迷ったままでいる。

 

遠出をしてみる

人と会いたい気持ちもあり、電車で1時間強離れた所に住む妹宅へ遊びに行った。

2歳半になる姪っ子、生後半年の姪っ子と1日中遊び、リフレッシュ。気がついたらたくさん笑ってて、「あ、わたしちゃんと笑えるやん」と思った。

それにしても、子どもの発想の豊かさや、子どもの吸収力、そして空気や声のトーン、視線でニュアンスを理解する敏感さには、毎度ハッとさせられる。子どもはいつだって、大人が思うよりずっと大人だ。

 

妹宅からの帰路の途中、無印で買い物をする。

この日は10時間ほど外出していたことになるが、電車の中でも不思議と眠くはならず、少し自分の体力に自身が持てた。

 

日常

睡眠

先週よりも早く起きられる日が増えてきた。努めて夜早く横になるようにしているつもりはないのだが、体力がついてきたこともあるのかもしれない。7時ごろには目が覚めるようになってきたし、6時代に起き上がることも苦痛ではなくなってきた。

中途覚醒も減り、睡眠の様子を見ていても、徐々に回復に向かっているように思える。

 

運動をとおして、体のメッセージを心や頭が素直に受け入れることの重要さを知る

ランニング、エクササイズは継続している。

その日によって、コンディションにも波がある。前日にみっちり筋トレした翌日は、ランニングの際に太腿が重いと感じたり、起きてから走るまでの時間によって、体の温まり具合が異なって、思うように体が動かなかったり。自分の調子を左右する要因や、自分が気持ちよくいいペースで走れる条件を知りたい、と思うようになった。

これって、こころのコンディションにも言えることだと、ふと思う。

かつ、毎日体を動かして体と向き合う時間を作ったことで、体の疲れをこころや頭が素直に受け入れられるように少しずつ変化してきている気がする。

身体が重い日は「無理せず、ゆっくりスロージョグにしよう」とか「脚の付け根に違和感を感じるから、今日は早めに切り上げたほうがいいかな」とか。

仕事だってそうだ。「あー、疲れが溜まってるなー」って日はできれば早く帰って思い切って体を休めたほうがいい。もちろんそれが許される状況じゃないことのほうが多いだろうが、体が発するメッセージをもっと素直に、そして真剣に受け入れないと、心地の良い毎日のバランスが取れないんだなーなどと思うようになった。

あと、運動を続けていたら意図せずして体脂肪率が20%を切った。ひょっとすると8年ぶりぐらいかもしれない。地味な日々の蓄積の結果として体がよりよいコンディションになるのって、自分を褒めたい気持ちになるし、自己肯定感が増す。

 

家事

前週からほぼ変わらず。

朝食のスムージーのバリエーションが増え、昼食と夕食は相変わらず作り置きに頼っている。

夕食は4日に1回のペースでお惣菜、のこりの3日も作り置きや下準備をまとめてしておいた食材を活用して、できる限り負担に思わないでこなせるように工夫している。

 

読書

前回の休職時には回復してくると本が読みたくなった気がするのだが、今回はあまり本を読みたい気分にならない。急性期に本を読んでもその内容が頭に入ってこなかったことにひどくショックを受けたことで、なんとなく避けてしまっている節もあるのかもしれない。

小説や、気楽なエッセイは気が向くと読んだりしている。

 

針仕事や植物の世話

もともと針仕事や裁縫はすきなのだが、こころを空っぽにして指先を動かすような作業を最近は好んでいる。例えばワンピースのほつれを直すとか。シャツのボタンが外れそうになっているのを付け直すとか。

同様に、趣味にしている植物栽培の植物の世話、鉢替え、剪定なども心を無にできるのでよい。何より、陽の光を浴びて、時には強風やずぼらなわたしの水遣り忘れにも耐え、すくすくと成長し、変化していく植物の姿を見ていると、活力になる。

 

英語

英語の学習は医者には止められているが、しばらく英語を聞いていないとリスニング能力が目に見えて落ちるので、ウォーキング時、ランニング時にBBCのPod Castを聞いたりしている。まぁ、走るのに精一杯で英語に集中できず、ほとんど頭に入ってこないのだが、全く聞かないよりはましかな、と。

昨年のTOEICは750点だったので、休職期間を活用して800点を目指したかったが、この達成はちょっと難しそうだな。目標修正しよう。

 

うれしかったこと:趣味つながりの知人からの連絡

前週から引き続きだが、知人からの連絡がうれしかった。

わたしは趣味で外に出るような活動をしていて、休職を期にその活動もお休みをいただいている。別に誰に非難されようが自分が楽しいことをやって楽しく生きれば良いと頭ではわかるのだが、例えば仕事の関係者にSNSなどでその活動状況が知られて非難されるようなことがあった際に、「それが何か?」とやり過ごすほどの強いメンタルは持ち合わせてはいないのだ。

仕事が人生の中心にあるべきとは決して思わないが、仕事でお休みをいただいているにもかかわらず、療養とはちがう目的で持って、外に出て積極的に趣味活動に勤しむのには、良心の呵責も多少ある。

ただ、わたしの休職を知らない幾人かから、趣味活動に関するお誘いをいただいたのは、とても嬉しかった。体調と世間体を優先して念のため見送りしたり、事情を話して参加・不参加の判断までに少し時間をもらえるよう、調整させてもらったりしている。

弱い紐帯の強さ」ではないが、仕事でもなく、家族でもなく、単に同じ趣味をもち楽しい空間・時間を共有する仲間がわたしを必要としてくれている事実は、とてもうれしかった。

 

回復しきれていないと感じるところ

忘れ物が多い

子供の頃からうっかりや忘れ物が多く、大人になってから母に「あなた子供の頃、ADHDだったんじゃなかと思うの」と言われたこともあるわたしである。

ADHDかどうかはわからないが、発症前はタスクリストとリマインダーをフル活用すれば業務はクリティカルなミス・漏れのない範囲でこなせていたし、時々忘れ物はするものの、日常的に困るようなことはなかった。

が、やはり適応障害になってから、ちょっとした忘れ物が増えている。

買い忘れなどは買い物前にリスト化し、タスクなどはタスクリストを作ればいいだけの話、要は仕事と同じ形で対応できているのだが、例えば妹の家に水筒を忘れてしまうとか、出かけるときに本来の外出の目的2関連する何かを入れ忘れてしまうとか、炊飯器に洗った米をセットして、スイッチを入れ忘れるなど、そういう類の「物忘れ」が頻発している。

急性期に比べると減ってきてはいるが、まだ短期記憶は回復しきっていない気がしている。

 

集中力が持続しない

文章を書いているとき、針仕事をしているとき、PCで絵を書いているときなどは集中できるのだが、読書中に集中できない。30分強すると飽きてしまうことが多い。

PPTはちょっとしたドキュメント作成のために先日1時間ほど使用したが、作成自体には問題がなかった。

が、この程度の集中力だと、通常業務をこなすのはまだまだ困難な気がする。

 

テレビを見て笑えない

もともとテレビはそんなにすきではなくて、社会人になってから7年ほどは家にテレビを置かなかったりしていたので、そのせいもあるのかもしれない。それでも、お気楽なバラエティーを夫と見ながら、時には声をあげて笑ったりしていた。

でも、最近はテレビが面白いと思えないのだ。むしろ騒がしく感じてしまう。

 

唯一面白いと思えるのは、Amazon Stickで見る映画や海外ドラマくらい。声をあげて笑うのは、ラーメンズのコントと、夫との冗談中心のやり取りくらい。

 

「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」といったのは誰だっけ?

なるべく冗談ばかり言って、人と笑いあうようにしていきたい。

 

漠然としたこれからのこと 

以上が、ざっくりしたわたしの適応障害のここまでの経過である。

以前のような落ち込みはなくなったが、ふと不安になったり気分が沈んだりすることは時々あるし、「今日はなんか調子がわるいなー」と思うと、朝の薬をうっかり飲み忘れている、ということもある。薬の力に頼らないと、まだまだ心も体も安定しないし、先の長い回復の過程にいるんだ、と自覚している。

 

おそらく、これから先は就業復帰に向けた生活リズムの改善(より朝方に)と、外出して人に会いに行き社会との接触機会を増やすこと、集中力を維持できる時間を伸ばすために、カフェや図書館で継続して一定時間本を読むなどの過ごし方をする必要があるのだろう。(初回の休職時はそうだった)

そして、再びあの職場、あの業務に戻るという不安と、会社に何を求められようとも、わたしの望む生活のバランスを優先して、うまく要求をかわしたりやり過ごしたりできるだろうか、という不安と向き合ってくことになるのだと思う。

 

そんなことを思うと、まだまだ先は長く、途上に辛いことが待ち受けていそうではあるだが、少なくとも6週間前のわたしより、休職する前のわたしより、今のわたしのほうがすきだ。

そう思えることが明日に向かう活力になっていると、わたしは思う。