Netflixで放送中の海外ドラマ「The BOLD TYPE」にハマっています。
ニューヨークを舞台に、ファッションを中心とした情報を提供する女性誌の編集部で働いている、20代女性3人の恋とキャリアと友情を描く、とうストーリーです。
上記のような事前情報を目にした時には、「あー、はいはい、なるほど。SATCみたいな、プラダを着た悪魔みたいな、エミリー・パリに行くみたいな、マイ・ファースト・インターンみたいな、、それ全部足して4で割ったみたいな、そういうヤツでしょ。」という先入観を抱いてわかった気になっていたんですが、ほんと舐めてすみませんでした、ごめんなさい、大変失礼いたしました!と平謝りしたくなるほど、面白かったです。
このドラマはとても上手にツボをくすぐってくる。結論、わたしは大好きです。
いま1シーズン目の第5話ですが、すでに次のシーズンもみるのは確実だなって思っています。
英題は直訳すると「大胆なタイプ」という意味。
雑誌などの媒体で使うフォント(文字の種類)で、太字で強調するようなものを「BOLD TYPE」と呼びますよね。雑誌の編集部が舞台になっていますから、ダブルミーニングなんでしょうね。
余談ですが、改めて出演者情報を確認するためにWikiを見て初めて、このドラマの邦題が「NYガールズ・ダイアリー 大胆不敵な私たち」であることを知り、邦題はかなりダサいことに衝撃を受けています。
「ブリジッド・ジョーンズの日記」世代の方が国内のプロモーター・プロデューサを務められてたりするのかしら。
英題ママのほうが、ずっとそそらると思うんだけれどな。
前半は冒頭で触れた比較対象ドラマや映画の話が続きます。
プラダを着た悪魔以外は基本酷評しますので、「好きな作品を低く評価されるのは不本意」という方や、「「THE BOLD TYPE」の感想が知りたいだけなんだけれど」という方は、以下の目次から飛んでくださいね。
※いずれもネタバレあります※
- SEX AND THE CITY
- プラダをきた悪魔
- エミリー、パリに行く
- THE BOLD TYPEが面白い理由と、リアルさの正体。
- 3人が代弁するもの:それぞれの象徴する時代感
- 面白い海外ドラマを探している人にはぜひ見てほしい
SEX AND THE CITY
冒頭で「SATC」や「プラダを着た悪魔」や「エミリー、パリに行く」を引き合いに出しましたが、正直にいうと、わたしはSATCはほとんど見ていません。
全編通して見たわけではないので、何話かわたしがつまみ食いした回が偶然そうだっただけかもしれませんが、かなり男性を追いかけ回している印象で、加えてちょっと性欲怪獣的なキャラクターが登場することもあって、違和感を覚えました。
セックスを主題のひとつに盛り込むこと自体はいいと思うんです。人生の要素として大事な問題だと思うし、なんだったら「主題のひとつ」ではなく、むしろ「ひとつの主題」としてフォーカスしていてもいいくらいのテーマだと思います。
わたしが違和感を覚えたのは、その描き方です。
「SATC」って、「自立した女性がひとりで都会で自由に生きること。と、そんな女同士の友情」をテーマに掲げて、世界中の女性の支持を得たという印象があったんですけれど、見ているうちに、この話に賛同する女性ってほんとに自立したいと思っている人なのか、実はずっと男性に抑圧されてきたカタルシスを解放したいだけなんじゃないか、という気がしてきてしまいました。
なぜかを説明します。
例えば、男性で「千人斬り」みたいなことを自慢するタイプっていると思うんです。で、そういった男性のことは当然、女性は嫌悪しますよね(その事実を知っていれば、ということですが)。
そういった嫌悪感の土台をうまく利用して共感を集めたうえで、男にうまいこと手玉に取られないような女性、マスキュリンな女性像を描いているように見せつつ、実のところ男を屈服させて一夜の秘事としてセックスに及んで、でも付き合わないということを登場人物は繰り返したりしてるわけで。そもそも男性にされたら多くの女性が嫌悪感を示すんじゃないかと思うことを、女性の登場人物が男性にしている構図が、個人的にいただけなかったです。
(ハンティング的な感覚で恋愛・セックスをする価値観の人もいると思いますし、それを否定するつもりはないです。ただ、わたしは共感できないです。)
あとは、単純に男女間アレコレ以外の要素についても、面白いと思えるポイント、感情移入できる点が見つけられなかった。
自立した大人の女性4人をメインキャストに立たせているわりには、描かれている女の友情のあり方も若々しすぎるかなという印象でした。これは、わたしが人付き合いが下手で、女友達が少ないために、そう感じてしまうだけかもしれませんが。
具体例を挙げると、困ったこと、悲しいことがあった時に友達にすぐ電話する、仲間内のハッピーな出来事のたびに集って飲むって、30代の女性の友情として一般的なのかしら。わたしは、大学卒業後の数年は、そういう関係性の友人も数人いましたが、30代になってからはよっぽど誰かに吐き出さないと自分が破裂そうな時を除いて、友人に電話してまで話しを聞いてもらったり、すぐに相談したりといった機会は滅法減りました。
(やっぱり友達が少ないだけのような気がして、悲しくなってきたな。苦笑い
ファッションに対する姿勢もあんまり。
なんだろう。わたしは自分がセンスがないだけに、ファッションに関するセンスが高い人への絶対的な憧れは強い方だと自覚しているのですが、着飾ることに「ご執心」の人間を見ると、性別を問わずちょっと引いてしまいます。この辺は自分でもなぜなのか、今はまだうまく言語化できません。
あとは単純に「女性ってオシャレ好きでしょ。ほら、皆さん憧れのスーパーブランドだよ。セレブっぽいファッション的な要素をちりばめておけば、数字とれるでしょ」という視点が垣間見えて不愉快に感じてるだけかもしれない。
プラダをきた悪魔
プラダを着た悪魔は、冒頭に触れた作品群の中ではダントツで好きです。
編集長のミランダの部下への注意の与え方は嫌味たっぷりだし、指示は公私混同パワハラまがいだし、さほど仕事ができないように見えるエミリーは主人公に嫉妬から理不尽に辛く当たるし。この辺りは見ていてイラッとする要素も多いです。でも、ストーリー展開としては魅力的な要素もあった。
わたしは「イビラレ」の物語があまり好きではないのですが(忍耐を美徳とする価値観がそもそも嫌いだし、誰かに忍耐を強いなくとも多くの人が快適な環境のほうがいいのはいうまでもない)、エミリーの意地悪に耐えてきた主人公アンドレアが、エミリーを差し置いて抜擢される展開などは勧善懲悪的で、そこまで溜め込んできたフラストレーションが解消されるようでスカッとするし、こういうお話がある一定の層に支持されるというのはわかりやすいです。
物語の後半では、賢いはずの主人公アンドレアがわかりやすい色男の誘惑に乗ってしまって、「おいおいマジかよ。それは痛恨のミスだろ」と頭を抱え込みたくなる場面もあるのですが、まぁ悪い男とわかりつつ惚れてしまうというのは、若い時分には往々にしてあることだと思う派なので(それを繰り返すようだと困っちゃいますが)、そういうものかもな、とも思います。
むしろ、主人公アンドレアに対してあんなに当たりの強かったエミリーが窮地に立たされたときに、主人公が優しく救いの手を差し伸べる様を見ていると、その聖人っぷりが非現実的に感じられたくらいだったので、「そんな聖人の優等生でも、色恋ではミスを犯すのね」という凸凹部分が成長過程にある人間味に感じられて、バランスが取れているように感じました。
(わたしは、自分を意図的に嫌な気持ちにさせた人を、積極的に助けようと思えるほど、性格がよくないので、知らんぷりを決め込むと思うけど)
あとは、なんといっても主人公の成長ぶりも描かれているのがよかった。地頭がよく優等生タイプで意欲的、性格もよいけれども少し鈍臭いところもある不器用なアンドレアが、人生を思い通りに生き抜くために必要な「強かさ」も含めて、より賢く美しくなっていく過程を描く様には、とても励まされました。
わたしは要領の悪いタイプなので、ちょっと不器用な人物のサクセスストーリーは拳を握るような気持ちで応援したくなるし、引き込まれしまいます。
ちなみに、夫は「主人公のアンドレアの彼氏がかわいそうすぎる。キャリアに邁進する彼女に放置され、仕事に一生懸命なだけだと信じていたら、実は浮気されて裏切られていたなんて。そんな女ならば、いっそフラれた方が男のためになるのに、アンドレアが最終的に彼の元に戻るという着地点含めて、とても残酷だ」と申しておりました。
ひょー、そんな視点もあるのか!!考えてもみなかったけど一理あるな。
いやー、映画やドラマの感想を述べ合うのって、自己理解や他者理解にもつながりますね。
エミリー、パリに行く
わたしがその美的センスに信頼を置いている友人が、Instagramで「このドラマの映像とファッションが素敵!」とコメントしていたのでチェックした作品でした。
確かに、ドラマに出てくるファッションやインテリアのセンスは素敵でした。特に配色センスね。タイトルにパリとあるだけあって、南仏的というか、ピンクと緑を合わせても上品にまとめるような、絶妙なバランスで攻めてくる。
一方で、ストーリーの中身はペラッペラのスッカスカだと思う。(←言い方
まず、米国本社からフランス支社に移動になったエミリーが、支社のボスであるシルヴィーにしごかれる。この辺りはプラダを着た悪魔と非常に似た構図なんですが、シルヴィーのエミリーに対する指摘がいちいち薄くて、浅はかなんですよ。
話の発端として、フランス赴任となったエミリーはフランス語が不自由な状態で着任します。そんな態度のエミリーに対して、シルヴィーはそもそも面白くない感情を抱いている。
昔から「フランス人はプライドが高いので、英語で話しかけても無視される」なんて話を耳にしましたが、仕事で赴任するならば現地の文化を理解しようとする姿勢が求められるのはもちろん、言語に関しても歩み寄るのってある程度は当然の話じゃいかと。
アメリカのヘッドクォーターから英語しか話せない方が自分のオフィスにやってきたことを想像してみてほしい。日本語が話せないのは仕方ないし、やりとりは英語ベースが現実解なのだろうけれど、やっぱり自己紹介されたときに、「こんにちは」「はじめまして」「よろしくお願いします」とか、カタコトの日本語を織り交ぜて挨拶されたらぜったい悪い気はしないし、そのほうが好印象を抱くのが人情だと思う。そういった姿勢の薄いエミリーにシルヴィーが冷たいのは理解できるんです。
ただ、その後のシルヴィーのエミリーに対する叱責は、仕事のクオリティを向上させる目的のものでもなく、シルヴィーの成長を促すためのものでもない。ただの「意地悪のための意地悪」が、かなりの割合で混ざっている。そこがリアリティを欠いている。
挙げ句の果てには、上司シルヴィーの恋人がエミリーに好意を寄せていることで、シルヴィーはさらにエミリーに辛く当たるようになる。そういった形で仕事に私情を挟む人間が、組織で上に登っていけるってのは、あまり考えられないです。部下のモチベーションを上げて気持ちよく仕事してもらわないと成果なんて出ないのが常ですから。個人的感情に振り回されてしまうタイプでも、ある一定のグレードまでは出世するかもしれないけど、少なくとも支社のボスクラスになるというのは現実感がないかな、と。
リアリティがないのは仕事上の設定だけではありません。
まず、エミリーが同じマンションに住むガブリエルに惹かれていく理由が、よくわからない。知り合いも少ないパリでの新生活で気を許せる知人ができて、心を開いていくのはわかるけれど、惹かれていくエピソードが非常に薄い感じがした。
確かに、世間的には恋愛ドラマにさほどリアリティは求められてないのかもしれない。とりわけ、出会いの意外性や偶然性においては。例えば「ロンバケ」だって、結婚式当日に花婿に逃げられた花嫁が、花婿の住む家まで白無垢で走って迎えに行ったところ花婿のルームメイトの男性と初対面、最終話ではその男性とゴールインするわけだから、出会いにリアリティがなくてもいいんだと思う。でも、関係を築いていく過程には傷ついたり傷つけたりのリアリティがあったり、登場人物の変化や成長が描かれていて、それがリアルで共感を呼ぶわけなのだが、このドラマはそういうリアルさもないです。言葉は悪いけれど、最初から最後までエミリーの経験値はさほど上がっていない。多少は上がったのかもしれないけれど、少なくともレベルアップには至っていない感じ。
徹頭徹尾、設定の浅さによる非現実感が漂ってる。もしくは、ケ・セラ・セラなフランス文化圏では、一貫性なんかよりも、その時の流れに身を委ねて、どこに漂着するかを楽しむスタイルなのかもしれないけれど。
加えていうならば、恋愛以外、例えば友情の視点もリアルさがからっきしない。ガブリエルの彼女のカミーユと主人公のエミリーが友情を育む過程も疑問符だらけになるし、ミンディとエミリーの友情もなんだか少し気持ちが悪い。
むしろ、わたしが主人公だったら、カミーユのような距離の詰め方をしてくる人は、警戒して距離を置く。
「中国の富豪の娘で中国内の超一流大学を卒業したけど、シンガーになるという自分の夢を諦めてまで親の敷いたレールを歩きたくなくて、パリに来てベビーシッターをしている」なんてミンディの打ち明け話を聞いたら、内心は「え、話盛ってるよね?」と訝しく感じると思う。だって、ミンディはシンガーになる目標に対して特段努力している素振りはないし、夢を半ば諦めているなら現実的な身の振りようを考えて自活するキャリアを目指すそぶりもなく、ベビーシッターのアルバイトをしている。
ミンディが夢を追いかけていること自体はいいと思うんだけれど、それが事実でミンディの鷹揚に構えた様をみていたら、わたしそれはきっと距離を置きたくなると思う。親の価値観の押し付けに反抗したい気持ちは共感するけど、結局は親の脛をかじってるお嬢様なんだ、と思ってしまうから。反抗するなら、せめて自活すればいいのにって思う。この、ミンディとの経済的格差からくる価値観のギャップは埋められそうにないし、彼女に共感する前にどちらかといえば彼女のご両親に同情してしまうから、わたしならばエミリーのように親しくはならない。
(こんな穿った見方をしているから、わたしは友達が少ないのかも知れない、とも思えてきたけれども。)
なんだろう。「エミリー、パリに行く」には、蜷川美香がカメラをとったドラマ「Followers」に対して感じたのと同じ類の、薄寒さが漂ってる。
ファッション、SNS、同性愛、高齢出産、不妊治療、そういう「今が旬」のキーワードをちりばめておいて、うまく調理してくれるならいいんだけど、とっ散らかってるだけという印象。こういう要素を盛り込めば数字取れるんでしょ?と、制作側が視聴者を値踏みしている感じが、やっぱりいけ好かないんですよね。
あと、このドラマって、「フランス文化への偏見や先入観が強すぎる」としてフランス人の反感を買ったこと含めて、世界中でなにかと話題になったと思うのですが、そういった国際関係ヒエラルキーの薄い島国日本では「お国柄先入観問題」が取り沙汰されている様子もないし、果たしてなにがこんなに話題になっているのか、不思議だと思ってしまいます。
ただ、「つまらないなぁ」と思いながらも、わたしも全話見てしまったのも事実なんですよね。
「SATC」は「もう見てもしょうがないな」と思って数話で打ち切ったのですが、「エミリー〜」は「感情移入せずに傍観者としてぼんやりと眺めて続けてしまう何か」がある気はします。それが冒頭で触れた、視覚的な快感情(ビジュアル・色彩の美しさ)なのかもしれません。
THE BOLD TYPEが面白い理由と、リアルさの正体。
登場人物がみんないい奴で、良くも悪くも人間臭いのがリアル
メインキャストの女性3人三者三様ながら、性格が極端すぎないところがリアルです。
3人はそれぞれに強みと不器用さを兼ね備えていて、その性格はそれぞれが育ってきた環境に裏付けされているような描写が序盤に盛り込まれていて、とても説得力があります。
例えば、意表を突かれるほどポジティブな考え方をするキャットは「両親にひたすら褒めらて育った」からこそ、自己肯定感が高くてストレッチしたチャレンジを厭わないし、対して経済的に決して恵まれていなかったサットンがキャリアを考える時に金銭感覚にシビアなのも頷けます。また、成育環境は恋愛感にも滲んでいて、幼少期から積極的に肯定されてきたキャットがマイノリティの価値観にも寛容なのは納得だし、その後に同性愛者の自覚はなかったけれども次第に女性に惹かれていくのも非常に理解できる。サットンが経済力のある会社役員と関係を持っていたりする点など、因果関係のステレオタイプすぎて逆にいやらしいくらいです。(褒めてます)
親しい女友達の恋愛話に、育った家庭環境が及ぼす影響を垣間見ることがありますが(自分の恋愛に対してもそう)、この辺りの各キャラ設定の奥行きが物語にリアリティのある遠近感をもたらしているように思います。
そして、3人とも基本的にはとても性格がよい。「嫌悪感があるし、この人物には感情移入できない」と思わせることがない。かといって、聖人君子すぎもしない。繰り返しになりますが、ドラマはあくまでフィクションなので、すべての点でリアルな必要はないんですが、あまりに非現実的だと白けてしまってそもそも感情移入できません。迷ったり失敗したりのエピソード含めて、どのキャラクターにも少しずつ自分の姿を重ねることができるのは、共感ポイントが高いです。
加えていうならば、それは主要キャラ3人に限ったことではない。序盤、3人とやや敵対するキャラクターとして描かれているサットンの上司でさえ、サットンの異動希望の際の対応の仕方など非常にスマートな立ち振る舞いです。
細かい話になりますが、自分の下に配置された部下が他部署への移動を出した時に、意地悪をする人間って近視眼的すぎてリアリティを欠いていると思うのです。
部署を移動して上下関係が解消される可能性があるなら尚更、異動者が自分に好意を抱いてくれる関係性を築いておいた方が長期的によいに決まっている。特に部下が有能であれば将来は出世する可能性が高いわけですから、無碍に扱わない方がいい。部下を持つ人間ならばそのくらいの損得勘定はできると思うのです。
そういった前提を踏まえて、上司がしのごの言わずにサットンの異動の推薦状を書くのは、サットン自身の優秀な仕事ぶりへの周囲からの評価の裏打ちとしても機能してました。こういったディテールについて、後から振り返っても矛盾が少なく、一つ一つの伏線が展開の裏打ちになっている点がさすがだと思います。
ここからは余談ですが、国内でも女性ファッション誌の編集部を舞台にした「ファースト・クラス」というドラマがありましたね。沢尻エリカ主演の女同士のマウンティング合戦、貶め合い合戦の泥沼を描いたストーリーです。
あそこまで徹底的に悪者を悪者たらんとして描いてくれれば、リアリティなんて気にせずに、水戸黄門的な勧善懲悪エンタメとして楽しめます。(わたし個人の感覚ですが)
「人としてこうありたい」と思える人物が描かれている
3人が働く出版社の人気女性誌「スカーレット」の編集長ジャクリーン。
この女性が非常に魅力的なのです。この人は人格的に完成されていて、先ほどの「聖人君子すぎるとリアリティがない」と矛盾するようですが、社の代表誌の編集長を任せられている人物としては、それがかえって説得力となっています。
部下の感情に敏感で勘がよく、若手が困難を抱えている様子の時には「助ける準備はある」ことを仄めかしつつ、本人が明示的にヘルプを訴えるまでは、部下を信頼しきって任せる。
つまり、個々人の抱える問題を察知し理解を示しつつ、かといって介入しすぎない。この父性と母性のバランスって現実世界ではとても難しいと思うのですが、いやはや見事だなぁと唸ってしまうし、ジャクリーンみたいなスマートな判断ができる人になりたいと素直に思えてしまう。
そして、仕事のクオリティに関しては厳しい。指摘は簡潔で、過不足のない言葉で伝える。この辺りの率直な態度にも、彼女の頭の回転が早さや優秀さが滲み出ていて、憧れてしまいます。
個人的には、パブリックな場面でこれだけ完璧に振舞う彼女が、プライベートで抱えている問題やコンプレックスがこの先に描かれていくのが楽しみ。どんな意外性を孕んでいるのだろうと想像を掻き立てられます。(例えば、プラダを着た悪魔で、編集長のミランダが、子どもの世話や夫婦関係に問題を抱えていたのと同じ構図かな、とか。)
完璧でないところが人間臭くて、よりリアルになったりするかな。
逆にいうと、「人としてこうなりたくない」と思うような嫌な奴は登場しません。(少なくとも私が見終わったシーズン1の第5話までは)
これ、非常に重要な点です。特にリアルに仕事を描いたドラマの登場人物に嫌な奴がいると、見る気力を失いますから。仕事の人間関係で神経を消耗するし、現実逃避の一手段としてドラマを見ているので、職場の人間関係で複雑な気持ちになるのは現実世界だけでお腹いっぱいです。
一方で、このドラマは職場をメインの舞台にしていますが、見終わった後に少しだけ仕事のモチベーションが上がる気がします。
登場人物のファッションが素敵だし、等身大
小見出しの通り、ファッションがかわいらしく、リアル(少なくともわたしの目にはリアルに見える)です。「SATC」や「プラダ〜」、「エミリー」と比べると、より等身大なお洒落な服装に見えます。(とはいっても、わたしはファッションに疎いので、「そう見える」だけで、実はハイファッションかもしれませんが)
SATCはセレブ感が香る肌面積多めのファッションだし、プラダは言うまでもなくスーパーブランドです。エミリーに至っては、「20代そこそでモチベーションは高くても仕事もさほど敏腕とは言えない若手が、なぜシャネルを何着も持っているのか」と違和感を抱きました。
でも「THE BOLD TYPE」は程よくカジュアルです。お洒落な中に、背伸びしすぎてない感じというか、お茶目さのような親しみやすい愛嬌のようなものがある。フィクションということを差し引いても、舞台設定がファッション誌なので「流石に派手では」という服装も出てきますが、20代の女性だし、アパレル業界・ファッション誌の世界はそんなものなのかなぁ、と思える許容範囲。
あとは、年齢を重ねた登場人物の服装が嫌味でなくお洒落なのもポイント高い。それぞれ、自分の立場の責任や役割も反映された、素敵な服装をしていてリアルだなぁと感じます。
20代の女同士の友情がリアル
主要登場人物3人の友情が、とてもリアルです。
20代の頃の女の友情って、確かにこんな感じだよな、と。
一般的にドラマ内の同世代の女同士の関係って、人数が増えるほど相対評価でのポジショニングや嫉妬、マウンティング合戦の醜さに焦点が当てられることも多いのですが、このドラマはそんなことはありません。
嫉妬の炎が燃え上がるような関係やマウントの取り合いになる間柄って精神的に消耗すると思うので、ドラマてそういうのを目にすると「この人たちはなぜ、距離を取ろうとしないんだろう」と不思議に思うことがわたしは多いです。
(職場の人間関係だと、退職するというわけにいかないとは思いますが)そんな辛い関係性に身を置いているのが、見てて解せない。このドラマには、そういった理不尽な前提がないから、余計なストレスを抱かずにすみます。
かといって、嫉妬や他者と比較して優越感を感じるといったシーンが全くない、綺麗事の世界ということでもない。
ドラマの冒頭でジェーンがライターに抜擢された時に、キャットとサットンが、自分たちのほうがいち早く正社員に抜擢されていたことでちょっとマウントをとるシーンがありますが、これはとてもリアルだと思います。サットンが自分の生まれた家の経済的事情に根深いコンプレックスを持っていて、裕福だったジェーンやキャットに「あなたたちにわたしの気持ちはわからない」と感情的に主張してしまうシーンは十二分に理解できて、むしろ心が痛みました。。
そういう風に真っ直ぐに感情をぶつけられる間柄というのも、20代の女の友情の特徴だと思う。年齢を重ねると、わざわざ摩擦を生んでまで相手に異を唱えることを避けがちですが、20代の頃は自分の気持ちに素直に、時には友人とぶつかることもあったような気がします。
そして、女同士の友情の大きな特徴の一つ「コミューン(共同体)的なあり方」の描き方も上手です。当然、わたしには男同士の友情の経験がないので、男女で比較はできませんが、何か困った時や悲しいことがあった時、辛い時に羽を休める先としてのコミューン的なあり方って、女性同士の関係に特徴的なものではないかと考えているのです。母性を礎にした包容力、受け入れる力ともいうのでしょうか。
自分を振り返ると、30代半ばにもなってくると、受け入れる力はむしろ増したりはしますが、窮地に立たされた際に「同年代の友人に頼ろう・相談しよう」という発想には至らなくなっていったように思うんです。
というのも、歳を取れば次第に自身で考え判断し、解決できる範囲も広がるので、そもそも他者に頼らないといけない機会が減ります。加えて、コネクションという意味合いにおいての人間関係にも幅が出てくるので、いわゆる「気の置けない友人」を頼る以前に、その道のプロや人生の先輩的な立場の人に相談しようと思う機会が増えるように思います。少なくともわたしはそうでした。
そういった意味でも、20代後半の年代の女性に特徴的な「コミューン的な友情のあり方」をリアルに描いているな、と思います。
恋愛感に止まらない、価値の多様性:セックス観、キャリア観、宗教観
こういう映画やドラマって恋愛が主軸で描かれているじゃないですか。それとせいぜい、仕事観ですかね、サクセスストーリー的なもの。
結婚適齢期(って今も言うのかしら。表現が古いかな)や、生物学的・肉体的な成熟のピークを考えれば、20代の関心ごとの上位が恋愛になるのは至極真っ当です。補足するなら、別にいくつになったって恋愛していいわけですから。
ただ、恋愛とセットで描かれるセックス観って、あまりに「行為としての」セックスや快楽、もしくは依存の対象としての側面のみに焦点が当たっているケースが多いような気がしていました。
最近でこそLGBTへの理解や、SDGsのような概念が声高に叫ばれるようになりましたが、問題提起を主題としているわけではない、ストレートな異性恋愛を中心に展開するドラマで、並行してLBGTが自然に描かれることって稀な気がしていて。
問題提起ではなく自然に描かれていたほうが作品として優れている、といってるわけではないです。どちらが好きかは個人の趣味・趣向・思想の問題だと考えるので、それは論点じゃないのですが、これまで抑圧の対象にあったものに対して寛容にフラットにあろうと意識して作られた作品なのだろうな、と強く感じました。
わたしはレズビアンやゲイの知人・友人もいるので、セックス観の中に「性自認」も含めて描かれているというのは、現代のリアルが反映されていると感じたし、個人的にはとても好感が持てました。
キャリア観ということでいうと、くだらない足の引っ張り合いが出て来ないし、登場人物がそれぞれクレバーで、自分の信念を持ちながら試行錯誤する姿は、余計なストレスや不自然さを感じさせず、安心して見ていられます。キャリアのハードルの要因として、男と女の二項対立的な構造が描かれないところもストレスを感じない理由のひとつかもしれません。
あとは宗教観ですかね。キャットに思いを寄せる写真家の女性はヒジャブを被っていて、イスラム教圏の出身。ですが、同性愛者なために自国では行きずらさを抱えており、NYで活動をしています。
映画やドラマで描かれる宗教って、ともすれば政治的に利用されたり、逆襲の一因となったり、不穏なものであることが多いです。そして、どちらかに肩入れしたくなるような、白黒のハイライトをつけて描かれる。
ですが、このドラマは宗教についても比較的淡々としたスタンスをとっています。あくまで、多様性のある価値観の一項目として宗教が登場します。登場人物の口から、その宗教に対する想いが語られることはありますが、ドラマ全体としての宗教観は非常にフラットで中立的です。不勉強なわたしには、イスラム教の国で同性に恋愛感情を持つことの実際は想像もおよびませんが、そういった複雑さを孕んだ多様な価値観を描こうとしている、その姿勢だけでも評価に値すると思って見ていました。
3人が代弁するもの:それぞれの象徴する時代感
そして、3人それぞれのコンプレックスを見てみると、女性が自由を獲得してくる過程で障壁となっていたハードルを、各キャラが代表して代弁しているようにも見えます。
主人公のジェーンは自分が性に対してやや奥手なことにコンプレックスがあります。サットンは性に対しては自由で積極的ですが、幼少期には経済面でのハンディを抱えていた事情があります。経済的に恵まれており、セックスに対しても特に困難を感じておらず自己肯定感の強いキャットは、自分が同性に対して恋愛感情を抱くことに戸惑う。
それぞれ、女性の性や快楽が抑圧されていた時代、女性が雇用や経済的・職業的な観点でデメリットを抱えていた時代、女性として生きることの困難が是正されつつある中で、実際の性別を超越した自己受容の困難さを代表して訴え、それを克服しようとする姿のようにも見えるのです。
女性の困難と書きましたが、性経験や生育家庭の経済状況コンプレックスは、性別問わずに普遍的なもののような気もします。加えて、キャットが抱える困難は、女性に特有のものではなく「自己受容」という、より性別によるバイアスの少ない普遍性の高いテーマです。
同性に対して恋愛感情を抱く方ならば、男性でもキャットの心情に共感できるのかなと推測したりのですが、実際はどうなのでしょうね。このドラマを見た男性の感想も聞いてみたいですね。
面白い海外ドラマを探している人にはぜひ見てほしい
すごく長くなっちゃいました。(ここまでで11,000字超です。マジかよ!)
こんなに熱く、人に何かを推薦するのはとても久しぶりで、恋愛や転職活動の自己アピール以来かもしれない。それこそ、恋愛や仕事だともっと簡潔にまとめるけど、長さ=熱量と考えると、それ以上ってことですね。わたしが暇人なのかもしれない。
とにかく「THE BOLD TYPE」はおすすめです。
友人と印象に残ったシーンや感想を言い合って、「えー、そこ、そういう風に受け取るか?」とか、「なるほど、そんな見方もあるのか」などと、やいのやいのするのも楽しそうですね。
そして何よりもキャットかわいい。
そうそう、わたしはキャットのファンだって言いたかったんだった。
わたしは良くも悪くもコンサバで理屈っぽい性格なのを自覚してるので、感情に素直で、自分にないものを持っているリベラルなキャットに惹かれてしまうのかもしれませんね。
ほら、こうして紐解いていくと、ドラマの感想の整理って自己理解の糸口になるでしょ?
と、今日はそんな感じです。