365日の顛末

こころとからだの健康、不妊治療、キャリア。試行錯誤の365日の記録。

2020年、不妊治療ことはじめ。

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子どもの頃、自分は当然のように子供を産むんだと思っていた。
自分の母親がそうだったように、母親になるのだと思っていた。

そうなることに、特段の苦労が必要だとは思っていなかった。

子どもを授かりたくても授かれない人もいることは、小学生の頃から知っていた。それでも、自分がその一群に含まれる側になるとは思っていなかった。

 

 

大学を卒業して数年、最初の結婚ラッシュが過ぎ去り、20台後半に差し掛かった頃に、ふと自分はこの先、結婚することはないんじゃないかと思うようになった。特に根拠があるわけではない。何となく、である。自分は共同生活に向かないんじゃないか、となると、結婚にも向いていないんじゃないか。そう考えたのだ。

とはいえ、もし結婚したいと思える相手に出会えなかったり、そもそも結婚したいと思えることがこの先なかったとしても、子どもは授かりたい。

わたしは、子どもがすきだった。

 

子どもって大人の常識から完全に解放されていて、独自の世界の捉え方をしているように感じられるときがある。まっさらな状態からフラットに物事を眺めて、不思議に感じたことを素直に言葉にし、忖度なく質問する。新しい地平への純粋な探究心。子どもと接すると、そんな視点に触れてハッとさせられることは多い。そして、その鋭さにギクリとすること、自分の凝り固まって発想や視野の狭さを突きつけられることも度々ある。子どもに世界を教えているようで、子どもを通して世界の新しい捉え方を学ぶ、そんな感覚。

ひょっとして子どもを育てるということ、子どもとやりとりしながら日々を暮らすことは、一度すでに知った気になった世界を新しく捉え直して、覚え直す営みなんじゃないかしら。20代のわたしはそう考えた。

そんなの面白いに決まっている、大変だろうけれど、仰天するような発見に満ちていて、面白いはずだ。そんな面白い体験をせずに一生を終えるなんて、もったいないんじゃないか。

そうしてわたしは卵子凍結の費用を調べた。結婚しなくても子どもが産めるならば、産みたい。子どもが産みたいと思った時に産めるように、備えておきたい。

 

折しも、著名な芸能人の「35歳を超えると羊水が腐る」という発言が物議を醸し、世間を賑わせていた頃だった。

当時、「卵子冷凍」でGoogle検索してたどり着いた先の情報によると、凍結1回の費用が100万円を超えていたように思うが、記憶は曖昧である。いずれにせよ、大学を卒業して3、4年ほどのわたしにとってたいそうな金額なのは確かだ。「卵子を凍結するというのはかなり高額で、今のわたしにそう易々と試せるものではない」という情報だけが脳内にインプットされ、それ以外の詳細は忘却の彼方に追いやってしまった。

少し興味を持って調べたものの、詳細については一切合切を忘れてしまえるほどに、当時のわたしにとっては不妊治療はまだまだ他人事だったのだ。

「ま、いっか。まだ20台だしな。35歳になる頃に、もう一度考えよう。

それまでに自分の自由な意思でもって卵子凍結できるくらいの経済力を培えるように、キャリアを磨いとくか。」

当時のわたしはそう思っていたような気がする。

 

 

その十数年後の現在、不妊治療は以前に比べればかなり普及しつつある。費用も幾分リーズナブルになってはいるが、それでも一般庶民のわたしにとってはまだまだ高額だ。

 

 

35歳になる直前に、わたしは幸運にも結婚した。

先のとおりわたしは子どもがだいすきなわけだが、夫はそもそも子どもを持ちたいという気持ちの薄い人だ。二人で具体的に結婚を考え始めた頃、5歳年下の夫にわたしがこう言ったことがある。

「ねぇ、子供についてはどう考えている?もし将来子どもを持ちたいと思うのならば、そろそろ35歳になるわたしと結婚するよりも、若い女の子と結婚したほうが確実だよ」

そんなわたしに、夫はこう切り返した。

「僕は別に、子どもが欲しいから誰かと結婚するわけじゃない。子どもを生む女性と結婚するわけでもない。一生一緒に暮らしてもいいかな、と思う女性と結婚したいと思っているだけなんだけれど」

夫の答えは120点満点だった。夫の想いを傷つけるような軽はずみな自分の発言を反省しつつも、その回答を聞いて胸の支えが取れたことを、そして少し苛立った夫の声のトーンさえもがわたしの自尊心を心地よく満たしてくれたことを、よく覚えている。

 

結婚後も時折は夫と子どもを持つことについて話す機会があったが、その度に夫はさほど気乗りしない様子で言葉を濁し続けていた。

「そうだね、そのうち、ね。」

 

結婚して3年目、転職してしばらくした頃に、わたしは適応障害にかかって休職した。

休職中の身であるからには、まずは職場に復帰することを目標に、回復に向け専念すべきなのだろうと思う。不謹慎かもしれないがわたしは休職中ずっと、「本当に復職するべきなのだろうか」と悩んでいた。当時、まもなく39歳になろうとしていたし、仕事に復帰することよりも今は出産して子育てを優先するべきなのではないだろうか、という思いが頭を度々よぎった。

出産にはタイムリミットがある。仕事に復帰して落ち着いたタイミングではもはや、子どもが産めない体になっていることだってありうる。遅まきながらその可能性を、ようやく現実のものとして捉え始めたのだ。

 

それでも、当時のわたしは悩んだ挙句に「一旦、仕事に復帰すること」を優先するときめた。

仕事を棚上げして妊活に励んだところで、妊娠できない可能性もある。授かるまでに、もしくは授かれないことが明確になるまでに、どのくらいの時間がかかるかはわからない。でも、その期間を経て、仕事に復帰しようとした時、わたしは納得のいく仕事を得られるだろうか。子どもがいない、そして仕事にも力を尽くせていない自分の人生に、満足できるだろうか。

 

そう考えた時に、「これから授かるか定かでない命よりも、まずは、すでに今存在してる自分の人生を充実したものにしよう」と考えたのだ。

そしてわたしは転職活動をし、今の会社で仕事をするようになった。

 

 

 

転職して「落ち着いたら」、妊活をしようと思っていた。

この後に及んでのんびり構えているわたしを焦らせたのは、1年ほど前に受けた会社の健康診断だった。婦人科検診で子宮筋腫が見つかったのだ。

 

とは言っても、30代後半の女性にとって子宮筋腫は珍しい病気ではない。悪性ではない腫瘍が2、3あることは多くいらしく、健康診断の問診でも医師から、それほど大きい腫瘍ではないので今すぐの手術が必要なものではないと説明された。

「まぁ、それでも年齢も考慮すると、もし妊娠・出産を望むのであれば不妊治療のスタートも兼ねて、早めに婦人科を受診されることをお勧めします。子宮筋腫の場所によっては、妊娠しにくくなることもありますから」

 

その医師の一言に背中を押されるようにして、わたしの不妊治療は幕を切った。

今から1年前、2020年の初めのことである。

 

 

健康診断で、医師から産婦人科の受診を勧められたことは、わたしにとっては夫に不妊治療を打診するいい口実にもなった。

「ねぇ、健康診断でね、産婦人科の受診を勧められたの。将来的に子どもを授かりたいならば、早めの受診を勧めるって、さ。わたしももうすぐ40になるし、受診してみようと思うんだ」

夫はすんなりと受診を受け入れた。

 

そうして、わたしは近隣にある産婦人科を調べ、不妊治療についても比較的実績があると評判のクリニックに通うことにした。

 

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先に書いておくと、今現在もわたしは不妊治療を続けている。

要するに、授かれて、いない。

冒頭の写真の中の赤ん坊の手は、わたしの子ではなくて、姪っ子のものである。

思ったよりも、妊娠するということは簡単ではなかった。

 

妊娠・出産に関する正しい知識を得ようとしていなかった自分が言うまでもなく悪いのだけれど、不妊治療をやってみると、なにせ初めて知ることづくしなのだ。

 

 

ということで、これまでの自分の治療記録として、これから1年前のことに遡ったりしながら、不妊治療についてもこのBlogに書いてみようかと思う。

これから不妊治療を受けてみようかなと思う人に少しでも役に立てばいいなという思いもありつつ、なかなか思うように進まない治療に対する気持ちのわだかまりを吐き出したいという動機もありつつ。

 

とにかく、治療の1回のターンごとに精神的なタフさが求められたりもするし、経済的にもボディーブローのようなダメージを喰らうので、費用的なこともつまびらかに書いてみようと思う。

 

いつか授かれたときに、もしくは授かることを諦められたときに、当時のわたしはこんな想いで、こんな日々を過ごしていたんだな、と笑って眺められることを期待しながら。

 

 

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