365日の顛末

こころとからだの健康、不妊治療、キャリア。試行錯誤の365日の記録。

適応障害での休職前、休職後の経過を振り返ってみる (1:休職前〜3週目まで)

適応障害で2度目の休職が始まって、もう6週間が経とうとしている。

最後に会社に提出した診断書から、さらに延長の診断がくだされない限りは、休職期間の折り返し地点を曲がったところである。

3週間前にはできなかったことができるようになってきたし、少しずつ症状が回復してきているように思う。 理由もなく気分が沈み込んでしまうとか、眠くて仕方がないというようなこともずいぶん減った。


が、喉元過ぎればなんとやら。どん底の時期のどこにも辿り着けないような閉塞感は、回復したころには忘れてしまうのだ。
その証拠にわたしは、1度目の休職期間のことをおぼろげにしか覚えていない。



先日の日記に書いた回復日記、生活記録は続けているが、ようやく文章が書けるようになってきたことだし、今回の適応障害の症状が悪化していく過程と、休職後の体調や心境の変化、その時々で考えていたことなどを一旦まとめておきたいと思う。


基本的には自分のための備忘録なので、要点をまとめて書いているわけではないし、瑣末なことも含めての垂れ流しである。

でも、もし悪化しつつある人が勇気を出して休む判断をするための材料になったり、どん底にいる人が回復に向かうための希望になったり、身近に適応障害の方がいて当事者に何が起こり、どのように感じているかわからないというひとの理解の役に立つことがあったりしたら、とてもうれしく思う。 

※書いてたら長くなってしまったので、前後編に分けたいと思います。今回は前編です。

  後編は以下からどうぞ。

sophy365.hatenablog.com

 

休職前のころ(前兆期)

わたしがおかれていた環境

前回の適応障害で休職してから正式復帰して1ヶ月半ほどで、なぜかわたしは社内的に某クラウドシステムの導入チームのリーダーになった。リーダーつってもアレだ、階級上がらずに責任だけ増えるやつ。 担当している類のシステムに関しては、営業提案の経験や、導入経験が豊富な人が他にいないのだった。
そのクラウドシステムは会社で取り扱いが始まって1年、運用支援をしている案件は数件あるもののその時点では導入の受注はまだなく、営業活動が中心。導入提案書をゴリゴリ書き、クライアントに提案しに行く日々。3ヶ月ほどそれを続けていたら、幸いにして受注してしまったのだった。
前職でも同じような役割を果たす某クラウドシステムのプロジェクトマネージャー(以下PM)を何件か務めたことはあった。「他にPMできる人いないよね」という空気で、わたしがPMに抜擢された。

自身のPM活動と並行して、チームメンバーの営業活動の割り振りや進捗の確認、メンバーの提案書のチェックや修正、見積をこなす日々。

前回の休職時にお世話になっているメンタルクリニックには通い続けていた。
「1月頃は生き生きしていたのに、表情に疲れが滲み出てきている」と3月には主治医から指摘されていた。


実際、受注後には中途覚醒が起きるようになってしまっていた。プロジェクトキックオフに向けた準備に加えて、一回り年上のチームメンバーの扱いにも苦労していた。1月は睡眠導入剤と朝飲む薬が1種類だけだったのが、3月には睡眠導入剤に加えて睡眠剤、4月にはさらに別の睡眠剤(脳の興奮を治める抗鬱剤。うつで処方される量の1/6ほどの処方)が処方されるようになった。

1度目の休職から復帰して以降、「眠れない、調子が悪いなど心身面での変調があれば、なるべく早めに教えて欲しい」と上司に言われていたので、3月上旬くらいから「睡眠が浅くなっている」「薬の処方が増えている」と伝えていた。 かと言ってなにが変わるわけではない「そうかぁ」の一言で上司が返答して、その話は終了。
業務面でも、不安な部分や、ヘルプが必要な旨を上司に伝えたが、「でも今進めなきゃいけないことはちゃんと進行できれてるんでしょ。気にしすぎじゃない」と流されてしまう。
上司は忙しいものだし、現場の進行詳細を把握すべき立場の人間ではない。わたしの相談の仕方も悪かったのだと思うが、この頃には初期症状として問題を整理して処理する能力が落ちてきてしまっていた。困った状況を相談した際に「具体的に何をして欲しいの?話聞いて状況把握しておけばいいだけ?」と言われた時には突き放された気分になった。

わたしもいまの会社に転職してまだ2年弱。この会社での案件進行のお作法はまだまだ理解できてない。今思えば具体的にどのような解決策を取りうるかから、一緒に考えてもらいたかったんだと思うけど、その場でそれを伝えることができなかった。
  
詳しくは以下のエントリーにも記載したが、プロジェクト開始から3週間程度で以下の症状が出始めた。
  

心理的、身体的な変化
  • 疲労感が半端ない
  • 食欲がない。咀嚼するのが苦痛。ゼリーとか豆腐とか麺類なら食べられる
  • 強い疲労感があるのに眠れない。夜中〜朝型の中途覚醒が度々起こる
  • 人と接するのが苦痛。一人でいると不安なのに、誰にも会いたくない。友人ですら会いたいと思わなくなった。
  • 帰宅した後、風呂にはいる気力がない(ぶっちゃけ、入浴は週1、シャワーは3日に1度、足と顔だけは毎日洗う。後は汗拭きシート。女として云々って以前に人間として終わってると思う。歯は夜だけは磨いてた。朝と昼はマウスウォッシュ)
  • ずっと肩と首が重い。トレーニング用の手足につけるウェイトが肩に乗ってる感じ
  • 会社に向かう時に、心臓と胃の隙間のあたりがキューっとなる
  • 休日ともなれば遊びに出かけていたのに、その気力がない。ずっと横になってる。なのに疲れが取れない
  • 元気なときは夜に缶ビールで晩酌しながらぼんやりする時間が好きだったが、酒を飲みたいとさえ思わなくなかった

業務的に支障をきたす、処理能力の低下
  • タスク整理ができない
  • タスクの優先順位付けができない
  • 話の要点をまとめられない(MTGの議事とか、それを受けて次回に向けてどういうスケジュールでどのタスクを潰すかを整理できない)
  • 先々の進行や駆け引きを考慮した発言ができず、その場しのぎの発言が増える
  • 簡単な事務処理タスクが異常に億劫に感じる
  • 集中力がなく、ひとつひとつのタスクを着実に完了させるということができない
  • 集中力がないのに、常に業務に関連する何事かをしていないとそわそわして落ち着かない
  • 短期記憶が著しく落ちる

 

通常、1時間半もあれば作成できる提案骨子をまとめたパワーポイントを作るのに3時間くらいかかったり、提案の要点をまとめるだけでも苦労するようになった。

脳みその働きが著しく鈍くなってるのを自覚した。



上司への相談、主治医の診断と休職の決定

このままだとプロジェクト自体が破綻すると思い、今の自分だとこのプロジェクトのPMは務めきれない、と上司に伝えた。「そっか。誰かPMOにつけて、雑務をその人に任せるかだねぇ。誰か該当する人いるかなぁ。考えといてよ」と言われた。
問題を伝えるだけではなくて、解決するためにどうすれば良いか、どの期間どのくらいリソースが必要で、どんなスキルセットの人間が適任で、それに該当するのが社内だと誰なのか、普段ならばサクッと考えられることが考え付かない。そのことにもひどく落ち込んだ。

その数日後、ついにベッドから体が起き上がらずに午前休をとる。

前回の休職時ですら、休職期間に入るまで、疲労や辛さから会社を休むことはなかった。

上司からは「疲労が溜まっていると思うので、全休で構わない」という旨の返信があったが、それを見逃したまま午後に出勤し、チームのメンバーをドン引かせ、翌日のプレゼンの準備だけして帰宅して、また眠った。

その翌日のプレゼンは惨憺たる結果だった。
自分が作った資料でプロジェクトの経過をクライアントのプロジェクトメンバーと上層部に報告する簡単なものだったが、正直いうと自分が何を喋っているのかわからなくなった。途中何度も言葉を詰まらせ、クライアントの担当者もさすがにわたしの異様さに気づいていた様子だった。(気のせいかもしれないけど)


この時期のメンタルクリニックの診察は月に1度で、次の診察予約は翌週末に予定されていたが、それを早めて週末に診察を受けた。

上記のような業務処理能力の低下、心身の状況を話したところ、休職を薦められた。
「あなた、いま適応障害から、うつに片足突っ込んでいる感じ。いまだったら2週間で回復できるから、すぐ休みなさい」と主治医。


この時のわたしは本当に判断能力ゼロで、何かを自分で決断することができず、何をどうすればよいのか、すべて誰かに指示してもらいたいような心境だった。
「この診断書を、週明けに出勤して上司に出せばいいんですか?産業医に出せばいいんですか?」などと、いい歳して涙しながらアホな質問をした記憶がある。
「上司でも産業医でもどっちでもいいから。出勤したら朝すぐ出す。出してすぐ帰る!」と主治医に言われた。

2週間の休職が必要な旨を記載した診断書を受け取った翌日、朝イチで予定されていた上司とのミーティングでそれを提出するつもりでいたが、多忙な上司はミーティングには現れず、夕方に診断書を提出。引き継ぎをして必要なドキュメント類と進行状況、課題とリスクをメンバーにつたえて、診断書提出の午後から休みをいただくことになった。

 

休職1週目

罪悪感・焦燥感・遣る瀬無さ。3つの感情のループ

仕事に行かないでいいという安堵感がないわけじゃない。 でも、実際に休職している実感は湧かなかった。2週間後には復職しなければならない。
わたしは課題から逃げた、このチャレンジに耐えてプロジェクトをゴールに導ければ、大きく成長できるチャンスだったかもしれない、という思いが頭から消えない。

罪悪感が消えない。 焦燥感がつのる。

わたしが仕事を引き継いだ同じチームの後輩はきっと淡々と粛々と課題を乗り越えていくのではないか、追い越されてしまうのではないか。
でも仕方ない、わたしは逃げたのだから、という遣る瀬なさ。
この3つの感情の延々ループ。

 

仕事のことが頭から抜けきらない

そして、上司にヘルプを求めた時に「どう助けていいかわからない」「他の人も助けてあげたい気持ちはあるのだが、(過去のプロジェクトで[※1])わたしをどうサポートすればよいかわからない、と言っていた」「ヘルプの出し方が下手なのでは?」と言われた言葉が胸に突き刺さったままだった。自分のプライドの高さからくる甘え下手な傾向、自分で仕事を抱え込みすぎる傾向などを、この先具体的にどんなアクションをとれば改善できるのだろうと考えて、全くその方法が思い浮かばずに落ち込む、のループ。
社給PCや社給携帯も手元にあるので、休職に関わる事務処理申請のついでに業務関連のメールを見てしまったりして、悪循環に陥る。
[※1]: 今回は二度目の休職だが、この過去のプロジェクトの過程で、適応障害で1度目の休職をしている。

プロジェクトが進行するごとに不安は膨らんでいっていっていた。似た機能を持つシステムのクライアント向け導入PMは前職でも何度か経験してきているが、今の職場では導入プロジェクトのたびに不安が襲う。
不安の根源は何かと考えた時に、そのクラウドシステムに関する知識やノウハウの不足が根本にあるのではないかと思って、Web上のナレッジページや、developer siteなんか読もうとしちゃったりして。
でも全然頭に入ってこない。文字が頭の中に入ってこない。文字を目で追っていても、ツルツルと表面を視線が滑っていく感じ。そりゃそうだ、適応障害でもう脳みそにベールみたいなモヤみたいなものがかかっている状態なのだから。

「前回の休職の後もわたしは一度復帰できたし、復帰後は意欲的に仕事に取り組みそれなりの成果をあげれてたから大丈夫」という気持ちと、「でも、もうわたしの脳みそは欠陥品になっちゃって、回復しないのでは」という思いが拮抗してた。

でも今思えば、「2週間すればまた職場に復帰しなければならない」という現実があったため、その緊張の糸が希望のほうを無理に膨らませようとしていたんだと思う。

 

日常

食欲はなく、ただよく眠った。
よく眠ったというよりも、起きていると上記のような思いが頭の中を常にぐるぐると駆け巡ってしまい、自分の感情の変化に疲弊するので、起きているのが苦痛だった。できればずっと眠り続けていたい、という感じ。少なくとも眠っている間は不安と対峙してあれこれ考えなくてもすむ。毎晩、床につくたびに「朝が来なければいいのに」と思っていた。
食欲はないけど、タンパク質をとらなくちゃと思って、豆腐ばかり食べてた。食欲がないので、咀嚼するのが面倒臭くて。あと納豆卵かけ御飯とか、バナナとか。
相変わらず、風呂に入るのも面倒、人に会いもしないから洗顔さえ面倒。髪の毛は一応束ねていたけれど、常に手櫛。ちゃんと髪に櫛を通した記憶はない。

 

2週目

焦燥感が募る

復帰に向けて、従来の生活リズムに戻さなければならないと焦っていた。
また同じことを繰り返してはならない、仕事の不安の解消(導入システムのスキル習得)が現時点では難しいのであれば、せめて自分の考え方を矯正しようと思った。
ちょうど前週、わたしの思考の癖について夫が指摘をくれていたのも契機になった。



仕事を抱え込んでしまう癖、失敗を恐れて動けなくなってしまう癖、プライドが邪魔して周りに上手にヘルプを出せない癖、それを直さなければ、と思った。なぜそうなってしまうのか、そのメカニズムを解説しているような本をkindleで買い漁った。でも、やっぱり読めないのだった。

 

文章が頭に入ってこない

読んだ本の中身がサマリーとして頭に記憶されない。試しに読んだ本の各章をサマろうとしたら、全然できなくて、自分の脳に失望した。読書が好きだったのに、簡単な小説さえも読む気が起きない。
かつ、文章が書けない。いや、文自体は書ける。いつどこで何をした、とかそういう記録はできるのだが、書きたい物事の焦点の周りをぐるぐるなぞっているだけのような、核心となるものを全く掴めないようなどうでもいい文章しか書けない。いま思うと考えをまとめる力が衰えていたんだと思う。

文章を書くこと自体は子供の頃から好きだったので、「やっぱりわたしの脳みそはおかしくなっていまった、取り返しのつかないことになってしまったのではないか、治らなかったらどうすればよいのだろう」などと考え始める。

 

自責の念から解放されたい、自己肯定感を高めたい、と右往左往

あと、自分でも抱え込みすぎる癖や、自責の念が強すぎる傾向があることは自覚していて、他人からも同様の指摘を受けることが多かった。なんせ、結婚式のスピーチで前職の社長が、乾杯の挨拶のための2分程度の短いスピーチで「とても責任感が強く」と2度ほど口にしたくらいである。(他に褒めるところないんかい、と思ったが、まぁいい。)物事を悲観的に捉える癖がある、自分が至らないからこうなった、と考える癖がある。
上記のエントリーで記載した「敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感を上げる方法」のワークで、親との関係について書き出しているうちに涙が止まらなくなって、頭の中が困難した。このワークでは、自分の闇の深淵を見た気がする。(というと聞こえはよいが、親への責任転嫁かもしれない、なーんちって。)
なんとか書き出してはみたものの、未だ親との関係について整理がついた実感はないし、長くなりそうなので、今後気が向いたら別のエントリーに書こうと思う。

 

日常

このころから、午前中に散歩をするようになった。2週間で復帰するんだとすれば、起床時間、活動時間、就寝時間などの生活時間のリズムを整えなければなどと考えていた。
食事を作る気力はあまりなかったが、そのことに罪悪感を感じる余裕もなかった。洗濯は週に3,4回、掃除機をかけるのは週1回。

相変わらず、風呂に入る気力はない。シャワーを1日おきくらいに浴びてはいた。汗をかく季節になったからからか、首からデコルテにかけて、そして背中の全面に赤い湿疹が出た。おそらくマラセチアだと思う。皮膚科を受診し、薬を処方してもらった。
整えなければならないのは生活時間のリズムだけではない。適応障害になると、生活のルーチンがおろそかになる。食事の他に、特に自分を慈しむようなルーチン。風呂に入るとか、歯を磨くとか、肌のケアとか、そういうこと。自分を大切にできなくなるのだ。
もっと自分にかまってあげよう、自分を大切にすることに時間を使おうと思って、毎日すべきことをリスト化した。

 このリストは症状改善とともに項目が増えていく。ストレッチとか、ジョギングとか、食事をつけるとか、家事をするとか、植物に水をやるとか。項目の増加は、気づきの範囲や興味の範囲、できることの幅の広がり、意欲の向上の証だと思う。


あと、この頃はなぜだか無性に酒が飲みたかった。
もともとお酒は好きな方だし、週末にはしこたま飲む日もある。 でも平日の家での晩酌は350mlの缶ビールにとどめていた。

それが、夜になると大量のビールを飲みたくなったし、なんだったら昼でも飲みたい気分になるのを必死でこらえていた。

適応障害になると、アルコールやタバコへの依存が強まるというが、まさにそれだったのだろう。現実逃避の手段として、わたしはアルコールを欲していたのかもしれない。

 

診察にて主治医の所見

結局、2週間での症状改善は認められず、主治医からは2週間延長、と言われた。
2週間の休職で診断書を書いてもらっていたことを主治医に伝えた時に「え、1ヶ月じゃなかったっけ」と言われ、「2週間です」と返答したら「そっか、じゃ、とりあえず2週間延長しましょうかね」と返答された。
問診中、主治医の視線はわたしの表情とPCのモニター画面を行ったり来たりする。モニター画面にはカルテが映し出されているのではないのかと思うのだが、そこに前回の診断書の休職期間は記載されていないのだろうか。
わたしにとっては休職は人生の重大事な訳だけれど、医者にとっては一患者の症状の一事象だものね。頭ではわかるのだけどね。たくさんの患者がいるし、ひとりひとりの患者のことなんて事細かに覚えていられないのだろうけれど、少しショックだった。

わたしの考え方の癖や自責の念の強さを少しずつ直していくにあたって、認知行動療法のようなものを試してみたいと伝えたが、「数十年の積み重ねで出来てきたあなたの中の判断の癖を変えていくというのは、ものすごくストレスがかかるから、もっと回復した状態で始めないとよい結果が出るわけがない。かつ、回復した状態で初めても、効果を実感できるとも限らない。医者と心理療法士が在籍している大きな病院に通う必要が出てくるが、認知行動療法に対応しているような病院は都内でも少ない。いずれにせよ、今はその時期ではない」とのこと。
業務を取り扱うシステムの勉強をしようとしても内容が頭に入ってこないのだ、と主治医に伝えると、「仕事のことは一切考えるな」と言われる。「何かをしていないとそわそわして落ち着かない」と訴えると、「散歩するなり体を動かすなりするように」と。

 

3週目

感情失禁つづきで、自身の感情に振り回されて疲弊

2週目より、さらに気分が重くなり、朝起きるのが辛くなった。午前中がとにかく眠い。ベッドから起き上がれないし、起き上がっても水をいっぱい飲むとソファーに沈み込み、再びうつらうつらし始める。1度目に休職したばかりの頃と同じような状況だった。とても散歩なんてできないし、そもそも外出する気分にもなれない。

この時期は、理由もなくよく泣いた。寝て起きる。ただ時間だけが過ぎた、自分は無為に過ごした。それだけで泣けたし、なにもなくても涙が出た。
窓を閉め切って、声を出してうわーんと泣くと、少しだけスッキリする。大声を出して泣いた後には心地よい疲れがやってきて、少し眠くなる。起きていると何かしなくてはならいような気がして頭が混乱するので、眠って逃避したい自分には、泣くことは好都合だった。
泣いたあとに眠らなくとも、泣いたことはすぐ忘れた。10分前には泣いていたのに、そのすぐあとに全く別の気分で別のことをしている自分に気づいて、感情の脈絡のなさに恐ろしくなったりした。


上記のエントリーにも書いたけれど、さびしいのと似た感情を覚えた。誰かに話を聞いてほしかったんだと思う。
一部の近しい友人には適応障害のことも話しているし、お茶にでも誘えば時間を割いてくれるかもしれない。でも、そもそもこの「話を聞いてほしい」という感情というのは、いま、その場で「そのままでいいんだよ大丈夫だよ」と抱きしめてくれる人が欲しい、という自分勝手な感情なのだ。加えて、「今度の週末にどこそこで何時からお茶でもしない?」という連絡を取るというタスクを進める気力は全くなかった。
そうなると、誰も話を聞いてくれるような人は思い当たらない。当然だ、いい歳でそれ相応の責任を背負っている人間の多くは、呼び出されてヒョイヒョイ時間を割いてくれるほど、暇ではない。

唯一、電話で話をする相手として頭に思い浮かぶのは母だった。でも上述のワークで親子関係の捩れを実感したこともあってか、自分が最悪の調子の際に母に泣きつくのは悪循環なような気がして、気が引けてしまうのだった。(この判断が正しいのかは、今でもわからない。こういうときに甘えられる人に甘えることが肝要な気もしている。)
ああ、いのちの電話っていうのは、こういう気分の人が利用するんだろうな、と思う瞬間がなんどもあった。結局、わたしはかけなかったけれど。
夫に話してみようかとも思ったが、夫も仕事で疲れて帰ってくるのである。かつ、わたしはいまの自分の心境を整理して、論理的に伝えられる自信もなかった。だから、夫が帰ってくる時間の2時間ほど前になると、そのあとは泣かないように、目を腫らすことのないように、気を張った。

 

死ぬ気力はないけど、消えてなくなりたいと思う

前回の休職時には、希死念慮というやつは全く起こらなかった。
でも今回は少し違った。死ぬ気力はないんだけれど、消えてなくなりたいような気持ちにはなった。
散歩中、踏切の近くを歩いているときに「あそこに数分立ち止まっていると消えられるんだな」というようなことが頭をかすめたりした。
その度に夫の顔が浮かんで、泣いてくれる人がいるからやめよう、と踏みとどまった。生きてれば最後に笑えるかもしれないけれど、泣いたまま死ぬのは最悪だ、夫の中の最後わたしの記憶がこんな状態というのは絶対に嫌だ、とも思った。こんなに弱っていても、相変わらず、プライドは高いのだから、今となると笑ってしまう。死を身近に感じるときに、不思議と両親の顔はそんなに思い浮かばなかった。甘えたいときに電話する相手として母の顔が真っ先に思い浮かんだのに、子どもというのは勝手なものだ。

 

診察、主治医の言葉

診察でも、主治医に「調子はどう?」と聞かれて、返答しようとした瞬間に涙が出てしまった。一人でいると不安で仕方ないこと、先週よりも悪化しているように感じることを伝えると、「2週間で復帰しなければという緊張があったから、最初の2週間は気を張っていて、その糸が途切れたのだろう」と言われた。「眠いなら、寝る、体を休める。絶対治るから。今この状態になって、あなたの元々の能力がこの先損なわれちゃうわけじゃないんだから」と言われた。
2度目の休職だし、うつや適応障害に関する本は数冊読んでいるので、これは状態が悪くなっている患者に必ずかける言葉であり、「あなたのような状態の人をわたしは何度も見てきて、その結果回復していく人をなんども見てきている」という信頼関係を築く作法であるということも知っている。それを知った上でも、なおかつ勇気付けられた。

 

家事が苦痛で仕方がない

働かざるもの食うべからず。休職を延長してからのわたしは、せめて家にいるのだから家事くらいはちゃんとしよう、と思っていた。特に、わたしの様子を心配して早めに帰ってくる夫が手料理を喜んでくれることは、普段夫や主治医としか顔を合わせないわたしにとっては自分の存在価値の重要な部分を占めているような気がしていた。
それにもかかわらず、料理をする気力が湧かない、台所にたつ元気がない、そもそも冷蔵庫の中が空なのに徒歩5分のスーパーに出かけるのがしんどいという状態で、それも無力感につながっていた。
主治医には「家事の中でもね、料理っていうのは段取りとか一番脳を使う作業なの。そんなの、やらなくていい。洗濯物たたむとかで十分。惣菜買ってきて皿にのせれば、立派な料理!一生この状態が続くわけじゃないんだから、それで十分!」と言われた。
<b>「惣菜買ってきてさらに載せれば、立派な料理」</b>名言である。

 

 

この後、4週目に入って、夫からかけられた言葉をきっかけにして、わたしは劇的に気持ちが楽になり、回復に向かっていったように思う。。

そのことについては明日また個別のエントリーにまとめてアップしたいと思う。

 

【追記】後編はこちら↓

sophy365.hatenablog.com