うつの回復期が続いている。
去年の後半、夏以降から年末にかけて、仕事で新しいプロジェクトを担当することになり、抱えているストレスが大きくなった。
↓1年前の回復の経過↓
↓4ヶ月前の回復の経過↓
- プロジェクト立ち上げのしんどさ
- 人にどう思われているかを推測して傷つかない。自他境界線を引く訓練
- 感情をじんわり漏らす。闇に落ちる前のセーフティネット「共感」を得るために。
- 年末の大きな谷と再発の兆し
- 振り返ってみると
プロジェクト立ち上げのしんどさ
新規プロジェクトって、クライアントはもちろん、社内メンバーも一緒に仕事をするのは初めてなメンバーばかりだったりする。相手の特性やスキルセットが不明確な中で、積極的にコミュニケーションをとってプロジェクトを先導してくのって、地味にしんどい。
「この人はどういう仕事の仕方をしたいんだろう」
「この人にこれを任せていいだろうか」
「結果重視タイプか、プロセスも重視するタイプか」
「どういう伝え方をすると、警戒心を解けるだろう」
ちょっとしたことを伝えるにも頭の中にいろいろな思いが駆け巡ったりする。
そもそも「このプロジェクト、うまくいくだろうか」という不安がある。
業務役割上は「うまくいくだろうか」じゃなくて、うまくいかせなきゃいけないんだけれど、まぁ不安ですよね。立ち上げ期って不確実な事項が多いし、見通しが立てづらい。
その不安に加えて、先のコミュニケーション課題のようなものが発生するので、頭の中がクエスチョンマークだらけになる。
自分で「まぁ妥当だろう」と納得できた上でとった言動と、「これでいいのかしら、ドキドキ」という気持ちを抱えてアクションを起こすのでは、負荷が全く違う。
で、だ。
自分の心に不安の根本が何なのかを問いただすと、わたしの場合には他人にどう思われるか、自分に対する周囲の評価を気にしているのだ。
「プロジェクトがうまくいかないこと」ではなくて「プロジェクトがうまくいかない時に周りにどう思われるか、周りにどう評価されるか」、「この仕事をこの人に任せていいか。どういう依頼の仕方をすればよいか」ではなくて「この仕事をこの人に任せた時に、無茶振りしやがってと思われないか」を気にしてしまう傾向が強いように思えてきた。
時々、他人の言動について「この人はどういう意図でその発言・その言葉選びをしたのだろうな」と考えることがある。気のおけない友人にそんなことを漏らすと「え、それは考えすぎだよ」と驚きながら一笑に付されることも多い。
そうなのだ、わたしはずぼらで大雑把なんだけれど、他人が気にも留めないことを考えすぎてしまったりするきらいがある。
チキンだからだと思う。わたしは小心者なのだ。よく言えば慎重派。リスクを大きく見積もるタイプである。
本来、他人からの評価とか本質的な部分ではないし阿呆らしいと頭ではわかっている。でも気になってしまうのだ。
他の人がなんと言おうと、自分がよしと思えるなら、それでいい。揺るぎなくそう思えたらどれだけいいだろう、と思う。わたしは自身の判断や感受性をあまり信頼していないのかもしれない。
理由はさておき、なるべく他人に振り回されないように、そして他人の目を気にする自分の感情に振り回されることがないように、他人とわたしの境界を明確にする工夫が必要だな、と思った。加えて、他人はわたしが気にするような細かいことを気に留めないらしいので、どこから先については「考えすぎ」と判断できるようなラインも引いておきたい。
人にどう思われているかを推測して傷つかない。自他境界線を引く訓練
仕事を進めるにあたって、決定しなきゃいけないことは山ほどあるので、他人にどう思われるかといった些末なことに脳味噌のリソースをとられたくない。
もちろん、関係者とは摩擦なく気持ちよく仕事したいし、なんだったらモチベーションを上げて取り組んでほしい。プロジェクトの成否ってメンバーの意識によって左右されるところも大きかったりする。
でも、言葉にして発信されたメッセージは「意見」として受け止めるべきだけれど、不機嫌そうな態度で発せられる「Yesとは言いたくない」みたいなニュアンスを拾い上げているとキリがなく、こちらも疲弊してしまう。
そのことにようやく気づいた。
でも、これまでそういったことを気にしながら仕事を進める「癖」がついているので、一朝一夕にはやめられない。
で、ぐるぐると不安がとぐろを巻いていることに気づいた時に、悩みの種が本当に検討に値するものなのかを改めて考えられるように、PCの画面に以下の一文を表示することにした。
- 他の人の感情を推測しない。明示的に言葉にして発信されるまではスルーしてよい
- 気づいたことにすべて対応しなければいけないわけではない。気づかないフリもあり
- 信義則に則ってどうあるべきか → それは現実的か →自分はどうしたいか を考える
- 振れる仕事はまず振る。振っていいか考える時間は無駄。振って断られたら対応を考える。
新卒かよ、とツッコミが入りそうなアレであるが、いっぱいいっぱいになっていると、全てのことにきっちり対応しなければいけないような気になってしまいがちなわたしなので、5分、10分同じことで悩んで解決策が見つかりそうにない時は、 上記に立ち返る。
これを徹底することで、随分と悩むことが減った。
悩ましいのが、「3.信義則に則ってどうあるべきか → それは現実的か →自分はどうしたいか」の項目。
わたしがクライアントのやりとりの窓口に立っていることもあり、クライアントの温度感や現場感覚が薄い社内メンバーからは、わたしの判断とは異なる意見が上がってくるケースもあった。加えて、クライアントから現実的ではないオーダーが届いたりすることはしょっちゅうなわけで。
こういう時に、今までのわたしは「自分の意見だけを通して悪く思われるのも面倒だから、いまいち納得いかない部分はあるけれど、この人の意見も少し組み入れておくか」といった中途半端な判断をしがちだった。自分の判断に自信がないのだ。自分の判断が間違っていたら、「すみません、間違ってました」と謝れば済む話なのかもしれないが、「全体最適」というポーズで、全面的に責任を引き受けることを避けてきていた。
でも、これはよくない癖なのではないか、とようやく思い至った。
一旦自分の意見にベットして周りを説得してみて、結果いまいちな判断だったと思い直したら誤って訂正・軌道修正する。そういったやり方を体に覚え込ませないといけないな、と考えて、今回は自分がどうしたいかを優先して判断するように意識した。
やりたくないことをしていても、なかなか結果につながらない。結局プロジェクトを進行していくのは自分なのだから、「納得いかずに取り組む」よりも「自分がやりたいことを成功させるように取り組む」ほうが結果につながりやすいはずだ。
結局、この判断は大正解だった。
最初は多少の摩擦が起こりギクシャクしたりもしたが、こちらの主張に妥当な根拠を示すことができれば、異なる意見のメンバーにも大方納得してもらえる。もちろん、各メンバーの意見が妥当な時には、それに従う。そういうやり方をしていると、次第に周囲も「まぁ、あいつがそういうなら、一旦それで進めるか」と思ってくれるようになったのかもしれない。次第に摩擦も減っていった。
しかも、このやり方には、プロジェクトメンバー各人もそれぞれ意見を主張しようとする空気が醸成されるという副次的効果もあった。思ったことは言えばいいじゃん、三人寄れば文殊の知恵、思ったことを言わずにあとで「抜け漏れてました」が発生するより効率がいいよね、というノリである。
言語化する手間を惜しまない。これって他人と協働するためにとても大切なことだと、改めて痛感した。
感情をじんわり漏らす。闇に落ちる前のセーフティネット「共感」を得るために。
一方で、クライアントとの関係について。
クライアントは誰しもある程度わがままである。ただ、そのわがままが現実的に実行するのが難しそうな類いのものだったり、納期とクオリティといった本来トレードオフになるもの無条件の向上を要求されたりしても対応できない。
ビジネスなので、トレードオフ嫌ならば金を積めという話になるわけで。この辺りの交渉に非常に難儀した。
この、クライアントの期待値コントロールや折衝のような部分は、以前適応障害で休職に至った際にもストレス要因として大きかったポイントである。
休職して退職に至った経緯もあるので、(現在は休職中に転職活動をして内定を経た会社に勤務している)新規プロジェクトを軌道に乗せ、クライアント折衝もそれなりにうまくこなすことで、自分の自信を回復できるのではないかと考えていた。
↓3年弱前に、休職に至った経緯↓
特に、プロジェクトメンバー全員が集まる定例会で名指しで詰問されるのは堪えた。「●●さんはいつも「難しいかもしれないです。」と一次回答する。やれる方法を考えるのがあんたの仕事だろう」と毎週罵倒されると辟易したし、病みそうになった。
その上、内心ではクリティカルなダメージを食らっていても、わたしは飄々とこう答えてしまったりするのである。
「不信感を抱かせてしまったならば申し訳ありませんが、こちらも詳細を伺わずに「できます」と即答することは難しいのです。なので、現状の進捗も鑑みると「できない可能性もある」ことはご承知おきいただきたいんです」
狼狽えているわたしの姿を見せることでメンバーを不安にさせたくないという思いもあるし、わたしにもプライドがあるのだ。言われのない批判はされたくない。
後に聞いたことだが、メンバー達はそういったやりとりを毎回「ひょえー、このクライアントほぼヤクザじゃん。」と思ってはいたらしい。一方で「でもあの人は毅然とした態度で返してるし、まあ大丈夫か」とらそんな深刻に捉えてなかったことを知った。
しんどい時はしんどい、とプロジェクトメンバーに伝えられることも必要だよね。そういう辛さみたいなものに共感して発せられた「いや、やれるだけのことやってるっしょ、大丈夫」といった言葉に救われる瞬間は確かにあるわけで、自分の心のセイフティーネットとして自分の感情もじんわり漏らしておくことは必要だな、とも感じた。
共感・共有してくれる人がいないと「なんで自分ばかり」というような惨めな気持ちになりがちだけれど、そこで共感を示してもらえるだけで、不思議なことに踏ん張りが効いたりするものなのだ。
結局、クライアントとの調整は、要望の一部を受け入れ、一部は来期の予算を確保して対応する形で、クライアントの承諾を経た。要求に応え切れてはいないが、来期も発注する気があることを表明してくれたのは担当者として喜ばしいかぎりだ。
何段階かに分けての交渉、クライアントのメンバーへの根回し、自社内での上席の説得やら何やら面倒だったけれど、そういう立ち回りや段取り含めて完遂できたことは、自信回復の柱になった気がしている。
年末の大きな谷と再発の兆し
「苦労しましたが、無事山を越えました」的に書いたが、年末は再発の兆しも顔を覗かせていた。仕事をしていて、無茶なオーダーを回避するたびにクライアントからの名指しで批判されている時期は、自信も自尊心も切り裂かれていたためか、仕事後になんとも言えない感情になって涙が溢れることあった。
夜は眠れなくなり、睡眠薬の処方は倍に増やした。それでもすんなりとは寝付けなかったりしたし、とにかく夜中に1、2時間おきに目が覚めた。早朝4時に目が覚めると、そこからはうつらうつらできる日もあるが、そのまま寝付けなかったりもする。入眠障害、中途覚醒、早朝覚醒のトリプルコンボ。
夢の中でまで仕事をしていたし、起きている最中、土日も少し時間ができてぼんやりしていた時に無意識で仕事の不安を繰り返し考えてしまっていた。反芻思考ってやつである。ネガティブなことを反復して考え自分に刷り込むことで、かえって事態が重大で不安なものに思えてくる、負のスパイラル。
ストレスフルな状況に加えて良質な睡眠が確保できていないために、日中に頭が働かず、ぼーっとしてしまうことも増えてきた。自分で話していて、何を話していたのかがよく分からなくなってしまったり、短期記憶が悪化したり。要は脳味噌のワークメモリが足りていない状態。
休職する前にも同じような状態が続いていたので、「このままだと再発する、むしろすでに再発しかけているかもしれない」という自覚はあった。そして、メンタルクリニックの主治医にもそのような体調の変化を伝え、「このままのペースで仕事を続けると、いつ倒れてもおかしくないよ」と忠告された。
ゆっくり時間をかけて、ようやくここまで回復してきたのである。ここで再び倒れてしまって、また振り出しに戻ってしまったら堪ったものではない。
早速、困った状況にあることを直属の上司に伝えたが、あまり真っ当なアドバイスは得られなかった。これまでも上司に相談したことはあったが、現場感を考慮した助言が得られたことはなかった。わたしが知りたいのは総論や理想論ではなく、あるべき姿に現実を掛け合わせた時の妥当な着地点と、クライアントにそれを納得させるための道筋だ。今回もなしのつぶてだった。
いい年なんだから上司の指示など仰がずに自分で判断すべきなのかもしれないとも思った。この際、具体的な指示を求めることはやめて、単純にプロジェクトの増員を依頼してみたりもしたが、10日後に上司に増員調整の進捗を尋ねた時に「いや、特に何もしていないですよ」と回答された。本当になんの調整も試みてくれていなかったらしい。
え、なんで。それマネジメントの仕事でしょ。
それを知った時には、心が折れる音を聞いた。ひどく乾いた、軽い音だった。
これ以上、直属の上司に仁義を通す必要もなかろうと、わたしはさらに上の部門長に相談した。「今わたし一人では捌き切れないボリュームの調整事項を抱えています。メンバーを追加してください」
秋以降、同じチーム内に2人も休職者が発生していて、それでなくとも年末なので社内のリソースは全体的に逼迫していた。それでも、部門長はすぐにメンバー追加の調整を計ってくれた。
こういう時の対応のフットワークの軽さは、ヘルプを訴えている側からすると非常に心強く重要なものだった。その迅速さに「わたしが抱いている危機感が伝わった」と実感したし、支援してくれようとしていると感じたことで「あと少し頑張ろう」という気持ちも湧いた。
そういう事情も踏まえつつ、何が一番よかったかというと、年末年始にたっぷりと休めたことだった。
いわゆる寝正月。夫の実家に帰省したので、持ち前の神経の図太さでとにかく眠った。時折会話に参加しつつ、うつらうつらし続け、美味しいものを食べ続けた。
義両親は内心「なんて嫁だろう」と思ったかもしれないが、他人になんと思われようが気にしない精神を身に付けたわたしは、義両親の思いより現在の自分の体調重視である。
そして実際、年末休暇に入って数日で、わたしは熟睡できるようになった。夜中に目が覚めることもない。日中、時間を持て余すと仕事のことを考えがちになるので、年内は大掃除に精を出した。朝から晩まで家の中の片付けをして、手足を動かす。それもよかったのかもしれない。
年明け仕事を再開したタイミングで、また不眠がぶり返すのではないかとも思ったが、年が明けるとクライアントの態度もなぜか軟化して、先に書いた通り、来期に向けた合意を交わすことができた。
日々何かしら想定外の事態が起こったりもするが、それも許容範囲。年末のように切迫した状況でもなく、かといって暇を持て余して自分の存在価値を疑ってしまうようなこともなく。程よく忙しい今は、凪の海のようだなぁと思う。
振り返ってみると
ようやく、何となくではあるけれど、適応障害にかかる前と同じような仕事ぶりができている自信がついてきた。最初に適応障害で休職したのはもう4年前になるのだし、「同じ」ことに安堵せずに前進していたいところだけれど、この際欲は出さない。
健康に働き続けるだけで及第点なのである。
加えていうならば、わたしは昨年から不妊治療を初めて、「仕事と不妊治療が重なった時には、基本的に自分の個人的な思いを優先する、つまりは治療を優先する」と個人的にルールを決めていた。仕事を第一優先にしない、わたしの人生を楽しくするためには、仕事が第一優先であってはならない、そう自分に何度も言い聞かせてきた。
これも仕事が辛い時期を乗り越えるための土壌として、大きかったと思う。「でもまぁ、仕事のことだしな。やらなきゃならないことを淡々とやって、できないことはどうしたってできないのだし。ビジネスだし」と自分を納得させた。
そして「働く」ということに関しては、この会社の社員として働き続けるべきかという点で、少し腑に落ちていない部分は残っている。
今のような、繁忙期になると1日仕事だけで力尽きる生活を長期間にわたって続けていく働き方を、5年後には脱していたいと単純に思うのである。
この先1年で不妊治療の成否にも目処がつきそうだし、今年と来年は今後5年、10年スパンでのこの先の自分の働き方をぼんやり模索してみてもいいかもしれないな、などと思っている。