適応障害からの365日の顛末

適応障害で休職中。回復へのトライ&エラーと、心地のよい暮らしを手に入れる過程の自分日誌。

こころが折れるとき。

「ストレッチした仕事をやらなきゃいけないのに、周りのヘルプが望めなくて、期待に応えられるアウトプットが出せるかどうか不安でたまらなくなって、徐々に頭が回らなくなる。チーム構成にフィージビリティがないのが原因です。」

と、わたしの適応障害での2回目の休職について、夫に指摘された。

 

 

今回の休職は2度目になる。

 

前回は1年ほど前。100時間残業したりする会社もあるみたいだから、なまっちょろいのかもしれないけれど、転職して最初は20時間程度だった月の残業時間が、50、60、70、80時間ってどんどん増えていった。

その会社は残業代はきちっと支払ってくれる会社なので、まぁ働いた分のお給金はもらっていて文句はないんだけれど、どんどん自分の効率が落ちていっていた。

あとちょっとした雑務を後回しにしがちになる。面倒なメールの返信とか、日程調整とか、会議室の予約とかね。

自分が取り扱ったことないシステムの導入のRFP回答書を2週間で書き上げなくちゃいけなくなっていて、やっぱりこれは自分だけではなんともならないとおもって上司に相談した時に「俺もどうすればよいかわからないやー。まぁ、がんばってよ」と言われたときに、ぽきっと心が折れた。

RFP回答書を書かないと営業にも、提案先にも顔が立たないこともわかっていたし、うちの車内でそれを書くにあたって比較的適した人間がわたしだということもわかっていた。(というか、たぶん他の人には書けなかったはず)

残業が一定時間を超えた社員は希望に応じて産業医と面談することになっていて(これがまた笑えるのだが、ヘルスチェックのようなアンケート画面で「産業医との面談を希望しますか」という項目に「はい」と答えてアンケートを送信すると「本当に面談を希望しますか」とポップアップが出てくる。無駄に凝ってる)、上司と産業医との三者面談で、「そこでRFP回答書はどうしても書いて欲しい」という上司に逆らえずに、夜中まで一人フロアに残ってRFP回答書を作成する数日を過ごして、提出。

この提案資料が書き終わったら休める。それだけが希望だった。

あー、でもこれで受注しちゃったら、案件をデリバーした人に手柄持ってかれちゃうのは悔しいなーなんて思ってたけれど、無事コンペに敗退し、提案書提出から1週間後に休職した。

 

3ヶ月ほど休職して、出勤訓練なども経て、職場に戻った当時は、残業は厳しく規制されるし、誰かのヘルプ的な仕事しか任せられない。定時には帰る。一つの案件の進行管理をするのではなく、その進行の一部分を切り出した作業だけを担当する。

産業医からは、「顧客先訪問や顧客との対面での折衝なども避けたほうがよい」と言われていたが、それでは業務が回らないし、その程度の内容であればわたしもこなせる自身があったので、提案資料を作成したり、コンペのプレゼンに同席したり、そこで発言したりといった折衝もしていた。

2ヶ月、3ヶ月と時間が経つと、体調が悪かった頃のことを忘れる。元の自分を取り戻したかのように錯覚して、仕事中心の日々に戻っていた。上司からは「明後日A社の社長プレゼンがあるんだけれど、提案資料作って」といった無茶振りも増えていく。

奇しくも、その頃わたしが提案資料を作った案件が受注してしまったのだ。社内では同システムの初受注。導入先の企業は、基幹システムからCRMシステムから自社が入り込んでいてSEも数人は常駐しているような企業である。失敗するわけにはいかない、というプレッシャーと、同じチームの人に自分の実力を認めさせたい、少なくとも休職していた分のマイナス評価を取り返したい、というような強い気持ちがあったのは否定できない。

 

が、わたしが前職で対応したことがあるのは、クラウド型システムの導入で、データ連携先でのデータ処理等には関与せず、導入システム内で実現する施策の策定と、導入システム内での処理設計・設定のみ。

顧客からすれば、基幹システムからCRMシステムから一社に任せているのだから、そのあたりのビジネスプロセスを含めて、設計して欲しいという期待があったのだろう。そんな期待に真っ向から「ノー」と言えず、かといって常駐している基幹システムチームに「ということなので、その部分についてはよろしく」と依頼することもできず、「あれ、わたしこれもやらなきゃいけないの?」という思いのままプロジェクトが進行して1ヶ月半、また、こころが折れそうな日がやってきた。

 

適応障害は再発しやすい病気である、と上司に伝えていた。半年とか1年の間に半数は再発する、というデータと共に。

なので、「眠れないとか調子がわるいとか、変化があったら教えて欲しい」と上司からは言われていたし、休職する2ヶ月ほど前から、ストレスが増えていることは面談などの折をみて伝えていた。(わたしは平社員なのだが、グループ子会社に発注して常駐させているメンバーを切るかどうかなどの判断を、上司はわたしに委ねようとするので、それも大きなストレス担っていた)

だが、「そっかー。気をつけてね」という労ってるポーズだけがかえってきて、何も進まなのである。ときには「AさんとかBさんとかにどんどん仕事振ればいいじゃん」なんて回答が返ってきたりもする。

でも、AさんはAさんで多忙だし、Bさんは期待したアウトプットを出してくれるレベルに達していない。最初はわたしの指示の出し方が悪いのかなと反省したこともあったが、「顧客への提案資料を作るにあたって箇条書きのメモの要点をまとめてほしい」と依頼した際に、「完了しました」2文をコピペして1文につなげただけの箇条書きリストを手渡された際に、こりゃ彼に任せるのは無理だな、と思った。

誰にどう助けを求めればよいかわからない、誰にどう助けてもらえそうかわからない。

そんな日々の中、いよいよ精神的に追い詰められたわたしは上司に幾度かに渡って「わたしの力では、あの案件を思うように進めることができません」と相談した。すると「どう助けてあげればいいかわからない。もっと周りの協力を仰げばいいのでは。以前あなたが休職する前にRFPの回答を作っていた時にも、ある人が『助けてあげたいんだけれど、どう助けてあげればいいかがわからない』といっていた。」「いま現状やらなきゃいけないことは順調に進んでいるように見えるし、気にしすぎなのではないか。もっとイージーゴーイングでよいのではないか」と言われた。

この段階で、わたしは相当追い詰められていた。そこに自身の周囲への協力依頼方法の拙さを指摘されて、自分も決して依頼が上手ではないので、言葉を返すこともできなかった。

 

その数日後、上司も同席したクライアントへの中間報告会で、わたしは思うようにしゃべることができず(各資料が何を示していて、何をどう伝えるべきか、まったく頭で整理することができない状態になっていた)、その週末に診療内科で休職の診断書を書いてもらうことになる。

 

週明けに診断書を持って出勤したわけだが、恐ろしく何もできなかった。

以前だったら15分もあれば章立ての構成ができていた資料を、1時間かけても何をどうまとめていいのかわからない。一つのタスクを終わらせるために、逆算して付随する小タスクをどのように分断してどのようなスケジュールで進行すべきかいいかわからない。

情報だけが頭の中に散らばっていて、それぞれの関連性もよく整理できなくなっていたしただ無力感だけが残った。

 

仕事で切羽詰まって、こころが折れそうなとき、その人を救うのは指示でもないし、発想の転換でもないと思った。

当人にとっては絡まって解き方がわからなくなってしまっている混乱した状況を、一緒に整理して紐解いていこうとする、寄り添いのスタンスな気がする。そういうスタンスで接してくれる人がいることは、ある種のセーフティーネットだ。自分はこの組織に必要とされている、自分が困れば助けてくれる人がいる、そういう実感。

もちろん、それを上司に求めるつもりはない。もし上司がそういった対応ができればそれはベストなのだろうけれども、そういう対応をするには彼の肩書きは上すぎる。

おそらくは自分の同僚や、やや経験豊富な先輩がそういった役目を果たしてくれたりするのが理想的なんだろうな。

転職して1年半経つ。毎日通って、1日の大方の時間を過ごしていた職場で、わたしはいまでも稀薄な人間関係しか築けていない。