適応障害からの365日の顛末

適応障害で休職中。回復へのトライ&エラーと、心地のよい暮らしを手に入れる過程の自分日誌。

99歳の人生と日常を思う:祖母にまつわるエトセトラ

その日の朝はのんびりとしてしまって、ランニングのために家を出たのはいつもより遅い10時頃だった。

ランニングしている公園にいく道すがら、タバコを買うためにファミリーマートに寄って店を出たところで、コンビニ前に設置されたベンチに腰かけたおばあちゃんが話しかけてきた。
「今日は暑いわね」
「ほんとに。梅雨入りしたと思ったのに、夏みたいな暑さで。今年は空梅雨なんですかね。」
などと返す。
 
そのおばあちゃんは、よくそのコンビニの前のベンチに座っている。
何度か話しかけられたこともあったが、どこかに出かける途中なことも多く、簡単な返事を返して、二言三言会話してその場を立ち去っていた。
他の人に話しかけているのも見たことがあるし、話し相手が欲しいのかもしれないし、その年代の方にとってはすれ違う見知らぬ人にも目が合えばちょっとした会話を交わすのが粋なのかもしれない。袖触れ合うも他生の縁的な。

 

 
いま99歳で、この地に住んで60年になるという。
わたしがいつもランニングや散歩に出かける公園も昔はただの山で、最初にできたのは野球場だった、このコンビニの場所は内科で、奥様が産婦人科医だった、とか、向かいの住宅地はガソリンスタンドだったとか。この地域の歴史を知る人である。
「あなたはどこにお住まいなの?この近く?」
と聞かれ、
「この道の先の坂を上がったあたりです。すぐ近所ですよ」と返す。
耳が遠いからか、聞いても忘れてしまうのか、会話中には何度もわたしもの住まいの場所についての質問が繰り返された。
 
しばらく世間話をした後で、おばあちゃんが座っているベンチの隣を指差して、
「あなた、ここに座りなさいよ」
という。
私はタバコを吸っていたので、少し距離をとった位置に座っていたのだが、遠慮なく隣に移動させてもらった。
片耳に補聴器をつけたおばあちゃんは、
「もう耳が遠くて、近くじゃないとよく聞こえないのよ。目もどんどん見えなくなっちゃってるし。早く死にたいわ」
などという。
「そんなこと言わないで。おばあちゃんが死んだら、家族とか悲しむ人がいると思うよ」
と返す。
 
 
世間話から始まって、おばあちゃんの大筋の人生の話を聞く。
 
おばあちゃんは子供の頃に養女に出されたのだという。新しい環境では、血のつながりのない姉達からいじめられて、たびたび頭を打たれたりもしたという。
つよく打たれたことが原因で中耳炎になったときに、おばあちゃんの知り合いがお見舞いに来てくれて果物を持ってきてくれた。でも、その果物も姉が取り上げてしまって養母に渡して、おばあちゃん以外ので食したのだとか。
「毎日毎日、しんどかったわ、あの頃は。」
というおばあちゃんに、
「そうだったんだ。おばあちゃん辛かったし、それは悲しかったよねぇ。たいへんだったんだね」
というと、おばあちゃんは無言で頷いた。
「だからね、わたしはずっと早く家を出たくてね、親戚の人が早く家を出られるようにって縁談を紹介しくれたらね、とにかく早く家を出たい一心ですぐ結婚しちゃったのよ、わたし。」
と言って笑う。
 
おばあちゃんはご主人に先立たれて久しいらしい。娘は二人いて、それぞれ昭和22年、昭和28年生まれだという。
(昭和28年といえばうちの母と同い年である。
完全に余談になるが小学生の頃、毎年、夏休みの宿題で街の風景を写生するという課題があった。天気がいい日には母と一緒に同じ公園に出かけて、その風景を描いていた。
母は暇つぶしに文庫本とラジオを持って行っており、AMラジオ番組で「『いやーん、おじさんのエッチィ!』なんていうエッチという言葉が生まれたのは
昭和28年でして…」と司会者の男性が話しており、「あら、お母さんの生まれた年だわ!」と母が言って笑っていた。
わたしはそのとき初めて母が昭和28年生まれであるという情報を知ったのだが、こんな経緯もあって、昭和28年という年は「エッチ」という言葉と合わせてわたしの脳にインプットされている。記憶って不思議だ。)
 
 
娘さんのうち一人は夫婦で小田急沿線に住んでいるが、もう一人の娘さんは旦那様に先立たれてからおばあちゃんの家に戻ってきて、今は一緒に住んでいるのだという。
 
「娘にね、臭い!って言われるの。きのう、ちゃんと老人の家(デイケアセンターだと思う)に行って、わたしはお風呂はいったのよ。それなのに臭いって。まあ、世話してくれてるから文句は言えないんだけれど。家のお風呂は段差が多くて入れないし、仕方がないじゃない。それなのに、臭いって言われると、かっとなって動悸がしちゃうのよ、わたし」
というおばあちゃん。
わたしと夫が、体臭予防に足と脇を洗うのに使っている柿渋石鹸を教えてあげようかなとも思ったけれど、それじゃまるで臭い事実を認めているみたいだよな、と思って口をつぐんだ。
 
一緒に住んでいる娘さんは、おばあちゃんの貯金口座から無断でお金を引き出してしまうのだともいう。
「それだからもうね、貯金口座がすっからかんになっちゃったの、わたし」
そういって、カバンから通帳を取り出して見せようとするので、
「おばあちゃん、通帳はそうやって人に見せたりするものじゃないよ。大切なものだから、ちゃんとカバンにしまっておいて。」
と窘めてみたが、さらに興奮した様子で
「家に置いておくと、娘がこっそり持ち出して、勝手に引き落とししちゃうから、こうやって持ち歩いてるのよ。郵貯のほうは勝手に下ろせないように定期にしてやったわ。世話してもらっているから文句は言えないけれど、わたしと夫が建てた家なのよ。そこに住んでいるのに、わたしのことを金づるだとしか思っていないの。死にたくなっちゃうわ」
と少し強い語調で続けるおばあちゃん。しばらく俯きながら沈黙したあと、キッと前を向いたと思ったら、
「まあ、文句を言ったって、カッとなったって仕方がないわね。もう引き下ろされちゃった後だもの」
といって、ふふふと笑ってみせた。
「死にたくなったり、かっとなって動悸がするときは、ぼんやり空や雲を見たり、きれいなお花をみたときの気分や、キラキラした木漏れ日を思い出しながら深呼吸するといいですよ。わたしの場合はそうすると、少しこころが丸くふっくらふくらむ気がするの。」
「あらそうなの。」
などとやり取りする。
 
「あなたお子さんは?」
というので、
「いません。まだ夫と二人暮らしなんです。結婚したのが遅かったもので。」
「そう。今は子供がいない人も多いものね。わたしの娘はたくさん子供を産んだから、たくさんの孫がいるの。わたしは子供が大好きでね。孫が小さかった頃はいつも一緒に遊んでいたわ。その頃は体も十分動いたから。今は孫も高校生や大学生なのよ。そうそう、孫は男ばかりだけど、一人だけ女がいるの。すごくおしゃれでね、わたしが昔つけていたネックレスをあげると、とても喜んでくれるのよ」
と嬉しそうに話す。
「娘には邪魔者扱いされるけれど、孫はいつもお土産を持ってきてくれるの。美味しいものや、孫の作ってくれたものとかね」
とニコニコしているおばあちゃんに、
「小さい頃におばあちゃんがたくさん遊んでくれたこと、お孫さんも覚えているんでしょうね。おばあちゃんに喜んでもらいたい、恩返ししたいって気持ちでいるんじゃないですか。」
と返すと、
「どうかしら」
といって、また、ふふふ、と笑う。
 
「あなた、ご主人はお仕事中?」
「ええ。そうです。」
「じゃあ、あなた、昼は一人でお家にいるの?この近所にお友達は?」
「すぐ近所に友人はいないですね。二つ先の駅のあたりには何人かいますが。実はわたしも普段は会社勤めをしているんです。いまは体調を崩してしばらくお休みをいただいているんですけれど。」とわたし。
「あら、そうなの。わたしも今は友達がいなくなっちゃったわ。昔は近所に5人くらいいたのよ。みんなで集まってコーヒーを飲んだり、甘いものを食べたりしながらね、いろいろお喋りして笑いあったもんだわ。でもみんな死んじゃった。わたしだけ残されちゃって、もう死にたくなっちゃうわよ」
とおばあちゃんは言う。
「気軽にお喋りできる友達がいると、それだけで救われますからね。でもおばあちゃん、死にたいなんて言わないで?おばあちゃんが死んじゃったら、お孫さんが悲しんじゃう。おしゃれな女の子のお孫さんの晴れ姿を見とどけなきゃ」
「そんな、あの子まだ高校生よ。でも…、もし見れたらいいわねぇ。そうしたらそれこそ悔いなく死ねるわ、ふふ」
とおばあちゃんが笑う。
 
すこし心の距離が近づいてきたのか、おばあちゃんはわたしの持ち物に興味を示し始めた。
ランニング時に持ち歩いているLAKENの350mlの赤い水筒をみて
「それいいわね。こんな暑い日にお散歩に持ち歩くのにちょうどいいサイズ。コンビニって便利だけれど、毎日買うと思ったら水だって高いじゃない?ちょうどいいわ。赤い色もいい」
と言いながら、ニコニコ笑っている。もしかして喉が渇いているのかなと思って
「これ、ただのお水ですけど、飲みます?わたし、いま家を出てきたばかりで、まだ口をつけていないので」
と言ってみたが、
「いいのよ、大丈夫。」
と断られた。おばあちゃんは細い肩にかけた小型のショルダーバックを指差しながら、
「このポーチにいつもは千円くらい入れているんだけれど、今日はお金を持たずに出てきてしまったのよね。次に会ったらあなたにコーヒーの一杯くらいご馳走するわ」
などと言っては、またふふふ、と笑う。
 
次に興味を示したのは、わたしが手に握っていたiPhone
「なにそれ?電話でしょ?格好いいわねー、最近の電話って大きいのよね」
おばあちゃんが言う電話が、はたしてどの型を示しているのかは定かじゃないが、iPhoneを大きいというくらいなので、黒電話やピンクの公衆電話ではなく、フィーチャーフォンのことなのだろう。
「これ、電話なんですけれど、テレビ電話ができたりもするんです。あとはカレンダーで予定が見れたりとか、音楽やラジオを聞けたり。写真をとって保存できたりとか。あと万歩計みたいな役割も果たしてくれるんですよ」
と言いながら、iPhoneに興味津々なおばあちゃんと一緒にセルフィー機能で写真をとり、撮影したものを早速おばあちゃんに見せる。
「ははは、本当だ。ちゃんとあなたとわたしが写ってるわぁ!」
と笑うおばあちゃん。
 
「ご主人のお写真はないの?」
というので、夫の写真をみせると
「穏やかで優しそうな人ね。夫婦は仲いいのが一番よ。ときには腹立たしいこともあるけどね、でもできるだけニコニコ一緒に笑ってるのが一番」
とおばあちゃん。
「そうですね。笑うと健康にもいいし、元気も出ますしね」
などと返す。
 
話題はおばあちゃんの気の赴くままに行きつ戻りつし、結果40分ほどは喋っていただろうか。
「あなた、どこかに出かけようとしてたんじゃないの?お時間は大丈夫?」
とおばあちゃんが唐突に言う。
「この近くの公園まで歩いて行って、ちょっとランニングをしようかなと思ってたんです。でも、別に何か予定や約束があるわけじゃないですから、時間は大丈夫ですよ。おばあちゃんこそ、暑い中で疲れていませんか?」
と聞き返すと
「そうね。今日はほんとに暑いから。そろそろ戻ろうかしら。悪いんだけれど、そこの横断歩道を渡るところまで、手を貸してもらえないかしら」
というので、
「もちろん、よろこんで」
と答える。
 
わたしの掌に体重を乗せてベンチからゆっくり立ち上がって、一歩一歩踏みしめるように歩くおばあちゃんを急かすことのないように、おばあちゃんの手を握りながら脇に並んで歩いた。
横断歩道を渡ったところで、
「ご自宅がお近くでしたら、ご自宅まで手を貸しましょうか」
と声をかけたけれど、
「杖があるし、ここから先は大丈夫。あなたは公園で走ってらっしゃい」
とおばあちゃんは言う。
 
別れ際に、皺々の掌でわたしの手を包み、
「あなたとお話できて楽しかったわ、ありがとう」
という。おばあちゃんの掌はとても温かくて優しくて、お日様に干したガーゼケットに包まれているような気分になった。
「わたしもこのコンビニの前をよく通るので。今度おばあちゃんを見かけたら、また声をかけますね」
 
またねと別れ、公園に向かって歩きながら、少し名残惜しい気分になって振り返ると、おばあちゃんは立ち止まったままこちらを見ていて、手を振ると振り返してくれた。
 
 
 
わたしが生まれたときには父方の祖父母は他界していて、わたしが生まれて数日後に母方の祖父も他界した。母方の祖母は脳卒中で倒れたりもしたが、それを乗り越えてわたしが高校生のときに癌で亡くなった。
 
わたしの母は「(母の)実母は違う女性だ。(つまり、わたしの知る祖母ではない)父(わたしの祖父)の妾の子だった」と考えている人で、それは統合失調症を患う母の妄想なのか、事実なのかはわからない。
そんな思いからか母は祖母と少し距離を置いており、わたしも自身も祖母に思いっきり甘えたり、いろいろな話を聞かせてもらったりした記憶はあまりない。そもそも、盆と正月、お彼岸くらいしか祖母と顔を合わせる機会はなかった。
 
祖母の家を訪れたとき、祖母は大概無口だった。自分から何かを喋ろうとする人ではなかったのかもしれない。
茶の間では、祖母の長男(つまりわたしの叔父)やその嫁、子どもを中心に会話が展開されていて、祖母はいつも所在無さげに曖昧な笑みを浮かべていた。
お茶の時間や食事の時間以外は、縁側にある椅子に腰掛け、ひとりで庭の向こうに広がる田んぼを眺めたり、うつらうつらと眠ったりしていた。毎日その景色を見ながら、祖母は何を考えて過ごしていたのだろうか。午睡の中の世界では祖母は何歳で、どんなことをしていたのだろうか。
子どもの頃のわたしは、自分から祖母に話しかける勇気が持てずに、少し離れた部屋の入り口から縁側の椅子に座る祖母の姿を確認したりしていた。祖母と目が合うとときどきは笑いかけたり、あるいは恥ずかしくなって部屋に顔を引っ込めたりしていた。
 
祖母が生まれた頃のこと、幼い頃にした遊びのこと、生活のこと、当時のごはんのこと、どんな間取りの家に住んでいたのか、祖父と結婚した経緯、5人の子どもを抱えた毎日はどんな生活だったのか、戦争のこと、戦後の時代の大きなうねりのこと、住んでいた街の変遷していく様子、世間の常識や関心の変化。
それぞれの時代の流れの中で、自分が置かれた環境の中で、粛々と続いていく日常に、祖母はどんなことを思い、どんなことで悩んだりしていたのか。
もっとたくさんのことを祖母に聞いておけばよかったと思うが、今となってはそれも叶わない。
 
 
99歳の自分を想像してみるが、全くわからない。10年、20年先の未来を思って「想像できない」というのとは全く別の次元で、何も思い浮かばないのだ。そもそも99年も生きられない可能性の方が高いかもしれないが、99年という年月は人の心にどういう変化をもたらすのだろうか。
 
もうほとんど見えなくなったというおばあちゃんの目は、99年の間この世界を見てきた。遠くなってしまったという耳で、いろいろな話を聞いてきたはずだ。
それなのに、おばあちゃんだけが知っている価値のあるものごとがたくさんあることを、おばあちゃん自身は気づいていないように思える。それがとても歯がゆい。
 
おばあちゃん、お孫さんにネックレスを引き継いだように、あなたの知る歴史、生きる知恵、想いを、お孫さんに伝えてほしい。
おばあちゃんの人生の経験は、楽しかったこと、嬉しかったことはもちろん、辛かったこと、嫌なことを乗り越えてきた知恵、しなやかさもひっくるめて全部、おばあちゃんだけが持つ固有の価値なんだよ。
 
それは、亡くなる前にわたしが、自身の祖母にかけたかった言葉なのかもしれない。