365日の顛末

適応障害で休職から転職。回復へのトライ&エラーや、心地のよい暮らしを手に入れる過程の自分日誌。

回復を実感した1月、2月(うつ、その後)

新しいプロジェクトのPMを担当することになり、11月後半くらいから仕事が慌ただしくなった。
入社して半年が経過したとはいえ、知らないことばかりの環境の中で、他部署との調整や、関係会社との契約、プロジェクトの立ち上げなどに追われて平日は帰宅するとぐったり、12月の週末は眠ってばかりいた。

 

年末年始を実家でゆっくり過ごし、東京に戻ってきてしばらくしたころ、40歳の誕生日を迎えた。

だからと言うわけでもないけれど、「これからのわたしの人生を、どのような方向に進ませるのも自分なんだよな」という当たり前のことを考えたりした。

 

かといって、大きくて具体的な目標というものは頭に思い浮かばなかった。

できれば、仕事はずっと続けたい。

でも、仕事ばかりにならずに、趣味や日々の暮らしに割く時間も大切にしたい。

日々ここちよく、なるべく笑って、少しずつでいいからより良い方向に進んでいっているという実感を持って生きていきたい。

粒度の大きな物事を考え始めると具体性を欠くものになってしまうので、ひとまず理想の一日を書きだしてそれを目標にしてみることにした。朝は7時半に起きる、ちゃんと朝食をとる、通勤時間を活用して英語のPod Castを聞く、帰宅したら疲れていても湯船につかる、風呂上がりにはしっかりと肌のケアをしてリラックスする、寝る前にストレッチをする、23時には就寝する、とか、そういう他愛もないことである。

そして眠る前に、「理想の一日」に照らし合わせて今日はどんな具合だったかを振り返る。

 

そういうことを繰り返しているうちに、徐々に気分は落ち着いてきて、やりたいことが増えてきた。「やりたいこと」といっても、これまたたいしたことではない。

冬のセール中のうちにストールを買い足したいとか、レコードが欲しいとか、部屋をきれいにしたいとか、そういったレベルのことである。やりたい気持ちに背中を押されて行動しているうちに、次第に週末の過ごし方が活動的になってきた。
昼前に街に出て買い物をして、カフェでコーヒーをすすり、本屋によって帰る。そんな週末の過ごし方をするようになってきている。

 

少し前までは、週末にわざわざ電車に乗って外出するような気力はなかった。

買い物もさほどする気が起きなかった。もちろん、必要に迫られてものを購入することはあったのだけれど、自分の気に入るものを探して歩きまわるなんてことをする気にはならなかった。(そもそも、たくさんある選択肢の中から一つ最適と思われるものを選んで購入する、その思考プロセスも面倒くさく感じられていた)

 

 

仕事は、相変わらずそこそこ忙しい日もあったりするが、週末には家で食事を作る気力が湧くようになった。

 

他人にどう思われてもいい、という開き直りが出てきたところもある。

自分がこうしたい、こうあるべきと思うことと、他人に期待されるものがぴったりと合致することなど、そうそうない。なので、合致しないこと自体にストレスを抱いても仕方がないのだ。自分はどう考えているか、どうしたいか、そのために、相手にどうしてほしいかを言葉を尽くして伝える。それで相手が動いてくれないのは相手側の判断があってのことだし、それはそれで仕方ないと思えるようになった。

薬は一部減薬になったものの、いまも飲み続けている。

それでも「ここからわたしは回復していけるな」と思えるようになった。12月までは「わたしはまだ鬱状態から完全に抜け出せていない。いつになったら、このトンネルから完全に抜け出せるのだろうか」と悶々とする日も多かったのに、不思議だ。

 


個人的には、細かく日常のあるべき形をリスト化して、それを着実にこなすようにしたことが効いたように思う。ちゃんとお風呂に入ると疲れが取れる、ちゃんと肌のケアをすると肌の調子がよくなる、毎日英語を聞けばヒアリング能力が上がる。些細なことではあるけれど、自己効力感の積み重ね。

 

加えて、仕事の場でも小さな蓄積の効果が現れたことも、良いように働いたかもしれない。

プロジェクト立ち上げ時に、指示を素直に受け入れてくれなかった若手がいた。報告しない、連絡しない、相談しない、という三拍子そろったメンバーである。引っ込み思案なのかもしれない。

彼に対してわたしは、一貫して「わたしはPMという立場上、どうしてほしいかを言語化して君に伝えなきゃいけない。だからときどきは無茶なことも言うかもしれないし、君の考えと合致しない主張をするときもあると思う。合致しないときは、ちゃんと主張してくれていい。ただし理由も添えて説明してほしい。」という立場を取っている。
彼はエンジニアとして、わたしには理解できない類の知識を持っている。だから、その部分についてわたしの理解が至らないがために無理な要求をしようとすることがあれば、それを指摘してほしいのだ。ただ、プロジェクト全体の方向性については話しあった上で、わたしが判断を下す。そして一度判断がくだったら、それには従ってもらわないとならない。

意見が食い違うと不機嫌になり、自分の意見の誤りを指摘されると拗ねる。人間感情の複雑さを垣間見せてくれていた彼だが、彼の業務が回らないときにフォローしたりを重ねているうちに、ようやく素直に意見を聞き入れてくれるようになった。
自分が根気よく働きかければ、チームもまとまっていく。これも、自己効力感に大きくつながった。

 

加えて。
鬱まっさかりのころに、わたしを思い悩ませてた「出産問題」。これにも手を付け始めた。
もともと欲張りな性格なのである。仕事は続けたいし、子どもも育ててみたい。休職中に通っていたリワークでも、そのスタンスを崩さないわたしは、「諦めなきゃいけないこともある」「あなたは欲張りだ」と指摘された。鬱状態だった当時は、仕事復帰をしたり転職をしたりして、新しい環境で体調が安定する保証はないし、もう出産は諦めないとならないかもしれないなと思ったこともあった。

年齢的に出産を考えるリミットも近かったので、仕事復帰をせずに出産を優先することを検討した時期もあったが、出産を理由に仕事を辞めたとしたら、子供が大きくなり自分の時間を持てるようになった頃に後悔するのではないかと思って、最終的に仕事を優先し、転職することにした。今すでに存在している命「わたし」がある程度幸せでないことには、生まれてくる子どもだって幸せにすることはできない。

 

なんやかんやで転職し、そのまま後回しにしてきた出産問題だったが、体調もずいぶんと落ち着いて、不調の波も小さくなってきているので、今年の2月から不妊治療を始めた。

やっぱり子どもがすきなのだ。もし幸運にも子どもを産むことができたら、わたしが想像する100倍は大変な日々になるのだろう。それでも、育ててみたい。まっさらな瞳でものを見て、世界を一から覚えていく様を、側で見守ってみたい。その想いは変わらなかった。
授かるかはわからないが、授かりたければそのために行動しないことには仕方がない。

授かったとしても授からなかったとしても、やるだけやったという思いでいたい。そんなこざっぱりとした気持ちで不妊治療を進行している。

 

 

こうして振り返ると、わたしはこの2か月でずいぶんと行動的になっていて、適応障害になる前とさほど変わらないレベルの気力・体力まで戻ってきているように思う。

1月には夫から、「以前とほぼ変わらないレベルまで来たね。よく笑うようになった」と言われた。

 

まだ多少の波はある。

でも、無理のない範囲で少しずつ自分にできることを増やして、心地よく暮らしていきたいな、と思う。