適応障害からの365日の顛末

適応障害で休職中。回復へのトライ&エラーと、心地のよい暮らしを手に入れる過程の自分日誌。

走ってたら気づいた。ちゃんと前を見てた。

ここ一週間ほどジョギングをしている。
朝起きて朝食を食べた後にソファーに身を沈めると、そのまま寝てしまうのだ。だから、朝食を食べたらストレッチをして外に出る。
外に出て陽の光を浴びると、セロトニンが出るらしい。セロトニンの分泌のためには、朝2500ルクス以上の光を浴びる必要があって、室内の照明の灯りでは300~500ルクス程度。一方、屋外に出ると雨の陽でも約5,000ルクス、晴れならば100,000ルクスなので、外出することが肝要なのだそうだ。 最初はただの散歩だったのが、体力増強を考えてウォーキングになり、ジョギングになった。(といっても、スロージョグだけど)

半年前に足を怪我して以来、走ることを医者に止められていたこともあって、随分と走っていなかった。
数週間前に久しぶりにジョギングした当日は、膝が上がらなくてびっくりした。
これはいけない、情けない。体が資本なのだ。復帰後にスムーズに現場の業務に対応するためにも、体力は肝心だ。

ということで再開したジョギングである。 あまり無理して苦痛で継続出来なくても意味がないので、1週間に5日も走れば上出来だと思っている。 スローペースで十分、と思っていた。

f:id:sophy365:20180621102340j:plain 近所に大きめの公園があり、1周800mほどの散歩コースがあるので、そこを走る。 足元はアスファルトではなく土なので、関節への衝撃も大きくない。

7時台に走ることもあれば、遅いときには9時台のこともある。 時間帯によって違うが、ジョギングをする中年男性や若い女性の姿、犬の散歩をさせる人たち、投稿する小・中学生の姿、家族を送り出した後だろうか、友人とウォーキングを楽しむ中年女性の姿、リハビリなのか杖をついてびっこを引きながらゆっくりと歩く年配の男性。 そんなものを横目に見ながら、ときどき、木漏れ日の光にうっとりしたりしながら、ただただ走る。

走っている間は、走ることと早朝の気持ちのよい空気を吸うことに集中して、なるべく何も考えないようにしている。 ときどき上司の顔や、同僚の顔、取引先の担当者の顔やエピソードが思い浮かぶ。 そういう時は、たいがい地面を見てしまっている。 いけない、いけない。頭の中のもやを追い払い、視線を遠くのほうに、やや上方向に戻す。 不思議なもので、遠くに視線を遣ると、自然にペースがあがったりする。

不思議なもので、走り始めて1週間もすると、午前中に外に出てひとっ走りしないともやもやするようになった。 先日の日曜日は休息日にして、走らなかった。1日ずっと気分が晴れなかった。 そして月曜日に走ったら、なぜかこころがすっきりした。 この変化は正直予想していなかった。

わたしは走る時にRuntasticというAdidasのアプリと、RunkeeperというAsicsのアプリを併用しているのだが、Runkeeperには参加型のチャレンジが用意されていたりもする。 こんなやつ。    f:id:sophy365:20180619210743p:plain

ひとつひとつのチャレンジワークは一応意味づけがされていて、どんな目的のワークなのか説明されている。

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ちなみに今日クリアした400mリピートは、各インターバルごとにこんな結果画面を確認できる。

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今日なんかはインターバルを完了した後に、
「やっぱり6kmは走ってみようかな」
「キリが悪いから45分走ってみようかな」
「距離が中途半端だから7kmまで行ってみようか」
「うーん、50分走ったならせっかくだし1時間行っとく?」
てな具合にどんどん距離が増えていく。

結果、今日走った距離。
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1時間連続して走ったのなんて、数年ぶりだった。
こうやって計測していると、なぜだか昨日より少しでも早く、もしくは長く走りたくなるのだ。
今日走り終わった時に、なんとなく、半年後には5kmを30分で、1年後には10kmを60分で走りたい、とぼんやりと思った。

数週間前には、積極的に死ぬ気力はないけれど、消えてなくなりってしまいたい、と思ったわたしが1年後の目標をぼんやりとでも考えていることにびっくりした。あ、回復してると思うと、うれしかった。
昨日よりよい自分になりたい。昨日より心地よく気分良く過ごしたい。昨日より自分をすきになりたい。
そんな健全な気持ちを、わたしは自然に抱けるようになってきているんだな、と自覚できた。

少し前に、

自分の機嫌は自分でとらなきゃ

といった芸人が話題になっていたが、そのセリフを聞いてわたしが連想したのは、

腹が立ったら自分にあたれ、悔しかったら自分を磨け

という村上春樹の言葉だった。
「走ることについて語るときに僕の語ること」に書かれたフレーズだっけ。
悔しいことや思い通りにならないこと、遣る瀬無いことがあったときに、その分走る距離を伸ばすのだという。
そうすれば嫌なことがあったぶんだけ、自分が強くなれるから、というようなこと書いてあったような記憶がある。

気にくわないことに対して反感を露わにして事態が改善すれば、それも良いのだと思うけれど、往々にして負の感情をそのまま発露させるのはよい結果をもたらさない。
かといって、言いたいことを飲み込んで、不条理な事態を受け入れるのも腑に落ちない。
そういった場合の十全な対処法の一つだな、と今日改めて思った。

忘れていたが、数年前、休日に5kmや10kmという距離を走ることを習慣にしていた時期も、村上春樹のこの言葉を知ったのがきっかけだったんじゃなかろうか。

村上春樹の走ることについての哲学、久しぶりに読み返してみようと思った。